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【最終回】ゆずこ家の介護はまだまだ続く!~漫画★孫娘のガチンコ介護

7月25日

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40歳の交通事故がもとで認知症のように?~介護体験談Aさん1

2017年6月5日

高校生のとき、学校に遅れそうなA・Tさんを、母親はバイクの二人乗りで送ってくれました。しかし、その途中で交通事故に遭い、母親は脳挫傷に。以来、少しずつ少しずつ、認知症のような症状が出てきたといいます。
Aさんは、結婚した後も母親のことが心配で、近くに住んで何かと世話をしてきました。介護の仕事を選んだのは、母親のことがいつも頭にあったから。しかし、プロの介護職でも母親のSOSを察知することができなくて……。
Aさんの葛藤を4回に分けてお伝えします。

 

*この体験談の1回目2回目3回目4回目(最終回)はこちら

 

高次脳機能性障害で記憶力が悪くなる

image001高校生の頃、学校に遅れそうになると、よく母がバイクの後ろに私を乗せて送ってくれていました。電車やバスを乗り継ぐと40分のところ、バイクなら15分で着きます。二人乗りで母につかまっているその時間も好きで、よく送ってもらっていました。
当時母は40歳。キビキビと家事やパートの仕事をこなし、とても元気でした。

 

その日の朝も、「遅れそう」と言うと、バイクのエンジンをかけてくれて。いつものようにバイクを走らす母につかまっていたのです。
しかし、直進する私たちのバイクがまったく視界に入っていなかった大型トラックが右折してきて、私たちのバイクに衝突。ドン! バンッ!!という音とともに、私も母も投げ出されました。

 

痛みで気を失った私は、病院で目覚めました。右足と右手を骨折し、前歯が2本折れていて、全治2カ月だといわれました。
最悪、と思いましたが、傍らには暗い顔をした父と妹たち。「……おかあさんは?」と聞くと、「……意識が戻らない。脳挫傷だと言われたよ」と父がぽつり。

 

えっ……。高校生だから、詳しい病名や症状はわからない。でも、意識が戻らず、父だけでなく、妹も弟もこんなに暗い顔をしているのは、きっと最悪の事態なんだ。
ぶつかったときのトラックが迫る光景、母と私の叫び声が思い出されて耳をふさぎたくなりました。

 

母の意識は3日間戻りませんでした。そして、意識が戻ってからも、大腿骨骨折のリハビリをするまでに半年。

 

退院してからの母は、体は元気になったものの、脳については「以前の8割」でした。
交通事故が原因だから、認知症ではなくて、高次脳機能性障害(交通事故や脳卒中などが原因で記憶障害や注意障害、遂行機能障害、社会的行動障害などが起こる)というのだそうです。
母の場合は特に、記憶障害がひどかったかもしれません。
家にしょっちゅう遊びに来ていた幼馴染の私の友達から電話がかかってきても、「どちらさんですか?」などと言ってしまう。私がとっくに家に帰って来ているのに、「Aはもう帰ってきたっけ」と。
それに、もともと料理は得意ではありませんでしたが、どうも料理の仕方もおかしくなりました。なんでもごった煮にしてしまうのです。トマトと豚肉とキュウリを煮てしまったり。

 

私が、「この事故は私のせいだ、私が学校に遅れるからと、母にバイクを出してもらったからいけないんだ」と自分を責めていたことは、家族もわかっていました。
だから、母の様子が変わったことも、家族はあえて気にしないでいました。母自身も、自分がおかしいとは思っていなくて。
だから、家では母の脳に障害が残っていると言う人はいませんでした。

 

掃除の仕事では、同じところばかりを掃く

image003事故に遭う前は、母は新聞配達をしていました。近くの新聞の営業所で働く知り合いに頼まれ、最初はバイクで夕刊を配っていたのです。そのうち、朝刊も配ってほしいと言われて早朝から仕事をする日々に。
それでも楽しそうに働いていたのです。元来働くのが好きなんですね。

 

事故後は、さすがにバイクに乗るのはもう無理なので、しばらくは家にいましたが、そのうち販売などの仕事を始めました。脳の調子があまりよくないので、ちゃんと仕事ができるのか心配でしたが、働くのが好きだったこともあり、なんとかこなしていました。

 

しかし、60歳を過ぎてから、だんだんあやしくなってきて。
母は、お友達に誘われて生命保険の外交の仕事を始めたのですが、1年で辞めてしまいました。法律や経済のことなどを覚えないといけないのが、無理だったのだろうと思います。
その後、それもお友達に誘われて、マンションの掃除の仕事をはじめました。するとある日、母の住む実家ではなく、主人や子どもと暮らす私の家に、そのお友達から怒りの電話が入りました。

 

「もう、あなたのお母さんとは一緒に仕事をしたくないのよ。同じところばっかり掃除しているから、『そこはもうやったじゃない』と言ったら、いきなりホウキを投げられたのよ!
私が紹介した仕事なのに、失礼じゃない。私は辞めたくないし、辞める筋合いはないから、お母さんに仕事を辞めてほしいのよ!」

 

ショックでした。同じところを何回も掃除する母の背中はリアルに想像できました。平謝りをして母に聞いてみると、母はぷいっと横を向き、「私が辞めればいいんでしょ」と吐き捨てるように言いました。

 

以後、母は自信をなくしたのか、働くのをやめました。もう64歳でしたから、どんな人だって仕事を辞めようと思う年です。
「もういいんじゃない? お疲れ様だったね」と言うと、少し笑顔を見せてくれました。

 

しかし、仕事を辞めて緊張することがなくなったからなのか、年齢のせいなのか、そこから一気に母の記憶障害がひどくなり、でかけて帰れなくなってしまうことも増えました。

 

次回は、外出して帰路がわからなくなる母親の様子をお伝えします。

 

*写真はイメージです。

 

<三輪 泉(ライター・社会福祉士)>

 

*この体験談の1回目2回目3回目4回目(最終回)はこちら

 

プロフィール

A・Tさん(女性 50歳)ケアマネジャー
千葉県在住。自営業の夫、社会人の長男と長女がいる。現在は認知症型グループホームに勤務しながら、80歳の父親と同居中。母親が40歳のときに交通事故で脳挫傷となり、以後忘れっぽくなるなど認知症のような症状が出始める。64歳までは元気で仕事をしていたが、仕事を辞めてから出歩きやガス炊きで鍋を焦がすなどが多くなり、デイサービスに通うようになる。母親は2年前に誤嚥性肺炎がもとで71歳で死去。ケアマネジャー試験を受けたばかりなのに、母親の症状に気付かなかったことにショックを受ける。

 

介護体験談はこちらの記事も参考に

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