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【最終回】ゆずこ家の介護はまだまだ続く!~漫画★孫娘のガチンコ介護

7月25日

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妻子と離れ、遠距離介護から同居介護に~介護体験談Sさん1

2017年2月13日

岡山県で穏やかに年金暮らしをしていた両親。しかし、80歳をすぎた頃から父親は肺気腫を患い、呼吸が苦しくなったといいます。母親は変形性膝関節症で歩行がしにくくなり、老老介護も困難に。
当初は月に一度、東京から岡山まで様子を見に行くだけだったのが、いつの間にか月のうち4、5日を除いて岡山で暮らすようになったS・Tさん。周囲の手はあまり借りず、妻や大学生の息子と離れ、介護だけの生活を続けることになりました。すると、次第に人と話す機会が少なくなり、社会から取り残されるような感覚を覚えるようになってきたといいます。それでも、在宅で介護を続ける理由は?
4回に分けて、Sさんの介護体験談をお伝えします。

 

*この体験談の1回目2回目3回目4回目(最終回)はこちら

 

老々介護をする父親が、母になじられて

image001父は一部上場の機械メーカーで勤め上げ、会社員としては恵まれた人生を送ってきました。停年退職後は、趣味の俳句を詠んだり、母と旅行に行くなど、のんびりと過ごしていましたが、もともと悪かった肺の調子がさらに落ちてきて、80歳を過ぎると間質性肺気腫と診断されました。

 

1歳年下の母はひざが悪く、それでも食事の買い物などは自分で行っていたのですが、やはり80歳を過ぎた頃からあまり長い距離を歩けなくなりました。疲れていると家の中でもずりばい状態になるので、肺の調子の悪い父親が母親を介護するような、いわゆる老老介護を続けていました。

 

僕は、東京でフリーランスのイラストレーターになり、広告や雑誌の仕事を中心に、忙しく日々を過ごしていました。30代後半で結婚をし、長男が生まれてからも変わらずイラストレーターを続け、今に至ります。が、息子が中学生なる頃に、父親は80歳を超え、母の面倒をみるのがだんだん大変になってきたんです。おのずと僕は月に一度程度、岡山の実家に帰るようになりました。

 

当初は1カ月分の買い物、手続きなどを代わりにして、重いものを運ぶなど、家事の手伝いが主でした。しかし、次第に父の体力が落ちてきました。母の着替えを手伝おうにも、母が袖に片手を入れた段階で、はぁはぁと息が荒くなってしまうほどで、父は「お母さんの世話がしんどい」と言い始めるようになりました。

 

2010年頃からは、さらに「しんどい」がひどくなりました。その頃から母は物忘れがひどくなってきたのです。また、急に性格が激しくなり、父が休み休み母の世話をしていると、「はよせんかい!」と怒鳴るのです。まるでいじめのように文句を言い続ける。それが父にとってはつらいようでした。

 

父は母の介護をするだけの老後。ならば助けよう

image003その頃、母を連れて脳神経外科で検査をしてもらったら、認知症だと診断されました。認知症の中でも、性格がきつく激しくなるタイプだとのこと。父は、ショックを受けていました。長い間、自分に仕えてきてくれた母に、「最後は恩返しをしたい」と思い、使命感を持って世話をするのですが、そんな使命感も崩れそうになるほどに、毎日罵詈雑言を浴びせられる……。

 

父に気晴らしをさせてやりたくて、「台湾に行ってみようか? 昔住んでいたんだろう? 母はショートステイにでも預けて、昔懐かしいところを訪ねてみようよ」と言ってみました。しかし、首を縦に振りません。何度言っても同じでした。

 

「俺にはもう、ワクワクすることなんかないんだよ。日々おかあさんのためだけに生きているんだから。でも、それでいいんだ。ほかに何かしたいことがあるわけじゃない」。気力を失いながらも、母の介護をやめようとしない父に対して、切ない思いでいっぱいになりました。

 

ならば、もっと助けてあげよう。そう思いました。認知症の介護は大変です。母につらく当たられることで参ってしまうのだから、その半分を僕が肩代わりすればいい。
幸いにもイラストレーターという仕事は、どこででもできるのです。仕事の依頼を電話かメールでもらい、作品を描いたら、パソコンからメールで送る、これで仕事は完了します。東京にどうしてもいなきゃいけないわけではありません。だれかと会って仕事をするときだけ、東京に帰ればいいのです。

 

息子はまだ学生でしたし、妻は働いていたので、ふたりを岡山に引っ越させるつもりは毛頭ありませんでした。介護は、実子がしたほうがいい、とずっと思っていました。父だって、嫁に介護されたら、気を遣って何も言えません。僕なら、「もっとこうせんと!」など、強く言うことだって簡単です。

 

父は、僕の妹には介護をさせたがらなかった。「嫁に行ったんだから」というのもありますし、妹の連れ合いは起業したばかりで、何かと大変だと察したのです。やはり、やるなら仕事の自由がきく僕なのです。妻子と離れることに多少の躊躇はありましたが、妻もわかってくれました。

 

こうして2010年から、僕の遠距離介護が始まったのです。そして3年半後に父が亡くなるとそれは、「同居介護」に代わっていきました。

 

次回は、母親の認知症の様子をお伝えします。

 

*写真はイメージです。

 

<三輪 泉(ライター・社会福祉士)>

 

*この体験談の1回目2回目3回目4回目(最終回)はこちら

 

プロフィール

S・Tさん(男性 57歳)イラストレーター
岡山県在住。変形性膝関節症だった母が、2010年、84歳のときに認知症になり、東京から岡山への遠距離介護が頻繁になっていく。ひとつ年上の父親は、間質性肺気腫がひどくなり、2014年1月に死去。以後はほとんど岡山に滞在し、妻子と離れて暮らす。要介護4の母親はデイサービスを週に1回、訪問介護を週3回受け、訪問看護も受けている。それ以外のオムツ変え、食事作り、洗濯・掃除なども請け負う。月に7日ほどはショートステイを利用。妻と大学生の息子は東京在住。

 

介護体験談はこちらの記事も参考に

私が思う「良い老人ホーム」より
●デザイナー・東海大学講師/山崎 正人さん
●モデル・タレント・ビーズ手芸家/秋川 リサさん
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●映画監督/関口 祐加さん
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さまざまな介護体験を語っていただいています
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→ 介護体験談<義理の親の介護 編> 一覧
→ 介護体験談<妻・夫の介護 編> 一覧
→ 介護体験談<祖父母の介護 編> 一覧
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