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10年半の介護の後、義母の終末期がいよいよ訪れた~介護体験談 Rさん1

2016年9月26日

20年の同居生活のあと、10年半の義母の介護を体験したR・Mさん。当初は介護がつらくてたまらなかったといいますが、やがて穏やかな関係が築け、看取ることができたといいます。特に、看取りを意識した後の8カ月の体験は、「自分にとっての贈り物と思えるようなかけがえのないもの」だったと言います。どんな体験だったのか。4回に分けてお送りします。

 
*この体験談の1回目2回目3回目4回目(最終回)はこちら

 

二度目の大腿骨骨折で体力を消耗して

image001何度かの病気や手術をしても、ずっと元気だった義母。昨年3月に96歳の誕生日を迎えたときも、よく食べ、よく笑い、家族からのプレゼントをうれしそうに受け取っていました。

 

義母は10年半前に認知症になり、4年ほど自宅介護で過ごしていましたが、ふとしたすきに家から出てしまったり、激しい言動が多くなったりしました。徐々に、介護を主に担っていた私の健康状態が悪くなってしまい、義母はグループホームに入居することになりました。

 

義母はかつて、嫁である私のことを下に見ることで、自分の立場を保ちたいと思う人でした。そんな義母が、私は苦手でした。人として尊敬できない、と思い続けました。義母は義母で、仕事が忙しいために、自分の息子である夫の世話を十分にできない私をよく思っていませんでした。義母は「私はあなたの世話になんかならない、だから好きにさせてちょうだい」と言い、自由に暮らしてきました。

 

だから、自らが認知症になり、弱くなっていくと、義母の心が揺れました。今まで下に見ていた嫁に世話にならなければやっていけない、屈辱だ――。思えば、そんな心の揺れが、激しい言動に現れていたのでしょう。そうしたことに気づかず、ただ義母の行動に右往左往していた自分が、今では恥ずかしく思えます。

 

しかし、混乱し、困り果てていた自分はどんどん痩せていき、ケアマネジャーさんに「もう、がんばるのはやめなさい」と言われるようになってしまいました。夫も私の体を心配し、ついには義母のホーム入居を決めました。正直、ホッとしました。この義母とようやく離れられると思いました。

 

しかし、グループホームに入居し、距離を得ると、気持ちが変わってきました。私は心と体を休めることができ、冷静になると、自分の被害者意識が強すぎたのではないかと後悔しました。義母は義母で、ほかの利用者さんとその家族との関係を見ることで、「うちの家族は意外に悪くない」と気づいたようです。実際、週に一度は一緒に昼食を食べるために家に帰し、誕生日や母の日にはお祝いの会を開くような家族は、ほかにはなかなかいなかったのです。

 

ホームに入居してからの母は、それまでの居丈高な言動がまったくなくなり、私に対して強い言葉を投げるようなこともなくなりました。私も、そんな義母がだんだん好きになり、年とともに無邪気になっていく義母をかわいいと思えるようになりました。以心伝心。少しずつ少しずつ、お互いを好きになって、時を重ねていったのです。

 

その後、一度目の大腿骨骨折を機会に特別養護老人ホーム(特養)に移ってからも、週に一度の家での昼食は続き、「おばあちゃんはまだまだ元気だね」と、孫たちにも喜ばれていました。しかし、昨年秋に特養の食堂で転び、反対側の大腿骨も骨折。入院して手術を受けてから、ガクンと弱ってしまいました。

 

病院の食事がほとんど手付かずになってしまい、あわてました。仕事も忙しいし、毎日病院に行くことはできない。そう思っていたけれど、行って食事のときに寄り添えば、義母は元気が出るのです。冗談を言いながら楽しませれば、半分以上は食べられ、時には完食もする。私の場合は家で仕事をすることが多いので、1日のうちでなんとか時間の都合をつけ、食事の時間を一緒にしました。義母は遠慮しながらも、私が来れば、うれしそうな顔をしてくれました。

 

二度の点滴もむなしく食欲が激減する

image003しかし、二度目の大腿骨骨折の手術を終え、退院して特養に戻ると、さらに食が細くなっていきました。もともと心臓が弱く、皮膚ガンの再発もあったところでの骨折。3週間の入院は、96歳の体には過酷でした。ようやく慣れた病院での生活からまた、ホームでの生活。その変化についていけないのです。病院のときのように、食事時間に寄り添って、スプーンを取るように促しても、目をつぶって拒否するのです。「忙しいのに来てくれてありがとう。でも、ごちそうさま」と言われ、なすすべなく帰る日々が続きました。

 

二度の点滴でも元気が回復することがなく、ホームの生活相談員さんに呼び止められ、「ずっと食事がとれないと……」と、死に向かっていることをやんわりと伝えられました。わかっていました。自分の父も、食べられなくなり、亡くなっていったのです。「食べることは、生きること」とはよく言ったものです。

 

この特養では、ふだんの往診の医師と看取りの医師とが別なのだそうです。それで、看取り専門の医師とそろそろ契約をしてほしい、と。契約は平日に、と言われました。週末しか来られない夫と相談をし、「サインだけだろうから、悪いけれどやってきて」と言われ、私ひとりで契約に赴くことになりました。私自身も、ただサインをするだけだろうと思っていたのです。それが、思わぬ展開に……。まさか、ホームの職員が囲む中で、自分が泣いて抗議するとは、思ってもみませんでした。

 

次回は、看取り医師をめぐるRさんの奮闘ぶりを語ってもらいます。

 

*写真はイメージです。

 

<三輪 泉(ライター・社会福祉士)>

 
*この体験談の1回目2回目3回目4回目(最終回)はこちら

 

プロフィール

R・Mさん(女性 57歳)団体職員
埼玉県在住。会社員の夫、ふたりの娘がいる。20年以上同居していた義母は10年半前、84歳のときにかかとを骨折。以後認知症となり、4年間の自宅介護の後にグループホームに入居。3年前からは、家からほど近い特別養護老人ホームに転居、ここで義母を看取ることとなる。

 

介護体験談はこちらの記事も参考に

私が思う「良い老人ホーム」より
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さまざまな介護体験を語っていただいています
→ 介護体験談<親の介護 編> 一覧
→ 介護体験談<義理の親の介護 編> 一覧
→ 介護体験談<妻・夫の介護 編> 一覧
→ 介護体験談<祖父母の介護 編> 一覧
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