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苦労をかけ続けた妻を介護して報いたい~介護体験談Mさん1

2016年8月29日

妻がボランティアに出かける途中、交通事故にあったのがきっかけで、大きな病気が発覚したというT・Mさん。それから7年間、9歳年上の妻の病気を支えることになりました。いつ命がなくなるかわからない中、どんな思いで介護を続けたのでしょうか。Mさんに4回に分けて語っていただきます。

 

*この体験談の1回目2回目3回目4回目(最終回)はこちら

 

交通事故の検査から大動脈瘤がみつかる

image001それは8年半前のことでした。当時75歳の妻は、地域のボランティアに出かけるために、横断歩道を渡っていました。すると乗用車が突っ込んできて……。大腿骨骨折をしたのです。

 

すぐに救急車で病院に運ばれ、入院になりました。人工骨頭を入れる手術を控え、その術前検査をしたところ、大動脈瘤が見つかりました。それも握りこぶし大ほどもある大きなもので、弓部大動脈瘤というものでした。

 

大動脈瘤は、放っておくと破裂して即死したりするものなので、基本的に手術をして取り除くことが重要です。しかし、場所が悪かった。

 

動脈瘤が大動脈弓部(頭や上肢に行く血管が分岐する部分)にあるものを弓部大動脈瘤といいますが、この治療はとても難しいのです。人口血管置換時の一時的な脳血流停止で脳障害を引き起こし、瘤はとれても寝たきりになってしまったり、手術中に突然死することもあるというのです。

 

本人にも率直に伝えて、どうするかを相談しました。すると、本人は「危険が大きいなら、手術はしない」と。医師からは、「放っておいたら2年ぐらいしかもたないかもしれない」と言われましたが、だからといって、私としても、怖くて手術をすすめられる状況にはありません。やむなく様子をみることにしたのです。

 

3カ月ほどすると、妻は退院しました。大腿骨骨折の手術はしたので、杖をつきながら歩けるまで回復しました。大動脈瘤については、経過観察のために定期的に通院するように言われましたが、これまでと同様、当初は自覚がありませんでした。

 

当初は平気だったが、だんだん痛みがひどくなって

image003けれど、通院を続けていくうち、瘤は大きくなり、だんだん痛みを覚えるように。その痛みもどんどん大きくなってきました。医師が宣告した退院2年後には、痛みがひどくて床に臥せる時間が長くなりました。それでも妻は気丈に家事をこなしていました。

 

私は当時まだ66歳、建設現場の見守りの仕事をしていて、妻にかかりきりというわけにはいきませんでした。それなので、妻はよけいにがんばっていたのですね。関西に嫁いだ一人娘のこともあまり頼らず、妻はなんとか自分でできることを自分でやっていました。

 

しかし、どうにも痛みがひどくて起きられない日もある。入浴も難しくなりました。そこで、訪問介護や看護の方々に来てもらえるかもしれない、と祈るような気持で要介護認定を受けました。結果、要介護2となり、訪問介護と看護をお願いし、入浴の介助もお願いするようになりました。

 

妻と私は年齢が9歳離れています。妻は、私が大学生のときにアルバイトで行った先の建築会社の事務員でした。しばらく通ううちに恋愛関係になり、大学を卒業後、私がその会社に就職してすぐに結婚。その後、娘をさずかりました。

 

年が離れているせいもあって、まるで姉と弟のような関係でした。私はお酒が好きで、深酒をしてしまうタイプです。飲んでいるうちに終電がなくなり、朝方帰ったり、早朝の山手線をぐるぐる回りながら仮眠をし、そのまま会社に出勤してしまったり。

 

妻は明るく辛抱強く、文句を言うことはほとんどありませんでした。それに甘え切っていて、肝炎になってもお酒を控えることなく、66歳まできてしまいました。

 

こんなに自分を支えてきてくれた妻が、今人生の大ピンチにある。ちゃんと支えて恩返しをしないといけないと、痛切に思いました。仕事はやめるわけにもいかないので、続けていましたが、掃除や洗濯、妻が起きられない日は食事の支度をしました。それまで家事はいっさいしたことがありませんでしたが、そんなことは言っていられません。

 

妻の介護は自分がするんだ。強い意志で臨むようになりました。

 

次回は、妻によりそい、介護を学んでいくMさんの様子をお伝えします。

 

*写真はイメージです。

 

<三輪 泉(ライター・社会福祉士)>

 

*この体験談の1回目2回目3回目4回目(最終回)はこちら

 

プロフィール

T・Mさん(男性 74歳)
神奈川県在住。8年半前に、9歳年上の妻(当時75歳)が交通事故に遭い、入院。検査をしたところ、肥大した大動脈瘤がみつかる。手術をすると脳死状態になる可能性が高く、断念する。以後激しい痛みに襲われ、入退院を繰り返す。闘病3年ほどのところで肺炎に。肺に水がたまり、酸素ボンベを使うようになる。6年経ち、肺がんに。医師からは常に「あとわずかの命」と言われながらの7年間だった。死因は酸素マスクがはずれたことだったが、Mさんは「自ら妻がはずしたのでは」と思っている。現在は会社員の孫とともに同居。

 

介護体験談はこちらの記事も参考に

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