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震災も乗り越え、3度生き返って生命力を見せた母~介護体験談Oさん4

2016年6月27日

2000年に介護保険制度が始まってからは、介護保険サービスを使い、お母様の介護を続けたO・Mさん。このころには、ケアマネジャーと同様に点数を計算し、サービスを組み合わせられるようにもなっていました。看取りに至るまで、お母様を支え続けます。最終回の今回は、26年間に及ぶ介護の、クライマックスをお伝えします。

 

*この体験談の1回目2回目3回目4回目(最終回)はこちら

 

介護保険をめいっぱい使って

image0012000年になり、介護保険サービスが始まると、従来のサービスとは大きく異なりました。これまでずっと支えてきてくれたヘルパーさんの事業所は、隣の市に所在するからと、使えなくなりました。代わりに住まいのある市の事業所にお願いしたのですが、紙おむつも当てられないヘルパーさんが来たり、点数計算がおかしかったり、協力し合いたいのに、クレームを言うようなことが多くて、困りました。それも、私が介護の勉強を始めて、知識を付けたからだと思います。

 

2001年頃にはショートステイで誤嚥性肺炎を起こし、入院。食べ物の飲み込みがどうにも悪くなりました。訪問診療や訪問看護サービスを使うようになると、私も、訪問看護の看護師さんも、「胃ろうをしてみてはどうだろう」と思うようになり、話し合って、胃ろうにしました。入浴サービスも使うことになりました。

 

介護の手としては、ヘルパーさんのほかに、母の妹たちも率先して手伝ってくれ、私も含めた介護のローテーション表を作り、母にだれかが寄り添っているようにしました。

 

また、大腿骨骨折で寝たきりになったので身体障害者手帳を、アルツハイマーでは精神障害の手帳をもらっていたので、医療費は無料になりました。月に10日ほどは、病院のショートステイを無料で利用することができ、とても助かりました。

 

このほか、親戚の歯科医に訪問歯科に来てもらい、口腔ケアをするほか、ソフト食を始めました。口の中の状態がよくなると、健康状態も増してきました。

 

このように、母は介護保険の最先端のサービスをフルに使い、命をつなげていたのです。

 

東日本大震災をくぐり抜けて、そして――

image0032010年を過ぎると、母の肺が弱って来て、鼻からチューブを入れて酸素を送るようになりました。たん吸引も必要で、いつ呼吸が止まってしまうかと心配になりました。2011年には、腕に水泡ができ、床ずれのようになっているのを発見し、入院してみてもらうことにしました。

 

ところが入院したその日、東日本大震災が起こりました。我が家は地震の影響で、停電が10時間以上続いたのです。酸素の電源、寒い日だったので暖房のことなどを考えたら、ぞっとします。入院してくれていてよかった、母はラッキーだと、しみじみ思いました。

 

そう、母は強運なのです。その後も肺炎を起こし、3月25日には危篤状態になりました。私はもちろん、実の妹たちも駆けつけ、見守る中、心拍数が0になっていったのです。

 

「ご臨終です」

 

医師の低い声が響きました。しかし、そのすぐあと、「先生、脈があります!」と看護師さんが叫びます。えっ!? と全員が驚く中、なんと心拍数が上がっていく。母は生き返ったのです。こんなことを、その後も2回繰り返し、最期までミラクルを起こしながら、その年の12月の末に亡くなりました。

 

26年間の介護。悲しい気持もありましたが、「終わったんだ」と思いました。

 

そして、さまざまな介護のシーンを思い出していました。母は、妹のことは名前で呼ぶのに、私のことはすぐに名前がわからなくなり、そのうち「おかあさん」と言い出しました。あなたが私のおかあさんでしょう! と叫びたくなりますが、母にとっては一番頼れる相手が、私だったということなのでしょうね。

 

いいな、妹はかわいがられて、と思っていたときに、ヘルパーさんに言われたことがあります。「おかあさまは、お嬢さんが玄関から廊下を歩いている足音で、お嬢さんだとわかるんですよ。そして、ニコっと笑うんです。本当にお嬢さんのことが大好きなんですよね」
私は見ることができなかったその表情。見てみたかったですね。

 

母が最期を迎える頃、私は音楽関係の仕事に行き詰まりを感じ、退職していました。介護を通してさまざまな人に出会い、自分なりの死生観も持ちました。今の私なら、本当の意味で、どなたかの命をサポートする仕事ができるかもしれない。そう思って、有料老人ホームの募集に手を挙げ、採用していただいています。

 

元気のいいおばあちゃまを見ると、母のことを思い出します。手をこすりながらぐるぐる部屋を回っていた母。あの当時は「困った人だ」と思っていましたが、無性に恋しい。さまざまなシーンを思い出せば思い出すほど、胸がいっぱいになります。

 

*写真はイメージです。

 

*この体験談の1回目2回目3回目4回目(最終回)はこちら

 

プロフィール

O・Mさん(女性 61歳)介護職員
千葉県在住。28歳で結婚してすぐに、母親の認知症を知る。夫の転勤で九州在住になり、首都圏に戻ってきた2年後から母親の介護のために実家へ通うことに。介護にまい進するが、その10年後、夫から離婚を切り出される。以後は母親とふたり暮らしに。その後、寝たきりになった母親と同居を続けて16年、通算26年間の介護生活を送る。現在は介護職員として勤務している。

 

介護体験談はこちらの記事も参考に

私が思う「良い老人ホーム」より
●デザイナー・東海大学講師/山崎 正人さん
●モデル・タレント・ビーズ手芸家/秋川 リサさん
●フリーアナウンサー/町 亞聖さん
●エッセイスト・ライター/岡崎杏里さん
●フリーアナウンサー/岩佐 まりさん
●映画監督/関口 祐加さん
●漫画家/岡 野雄一(ぺコロス)さん

 
さまざまな介護体験を語っていただいています
→ 介護体験談<親の介護 編> 一覧
→ 介護体験談<義理の親の介護 編> 一覧
→ 介護体験談<妻・夫の介護 編> 一覧
→ 介護体験談<祖父母の介護 編> 一覧
→ 介護体験談<その他の介護 編> 一覧

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