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気丈に癌を受け止める母。看病する私より覚悟があった~介護体験談Yさん3

2015年7月20日

認知症と肺の病気を患った父を、4年半の介護の末に亡くしたY・Aさん。母親とともに葬儀や納骨をし、一周忌が終わった頃に、今度は母親に病気がみつかりました。父親とは葛藤があった分、母親がかけがえのない存在だった彼女にとって、大きな衝撃。そして、その後の介護は、すべて30代になって間もないY・Aさんの手にかかってきました。

 

*この体験談の1回目2回目3回目4回目(最終回)はこちら

 

気丈にひとりで運命を受け止める母

3_1私たちの住む家は、父の兄から譲り受けたのですが、父とその叔父との関係は最悪でした。歯科医で経済的に恵まれた叔父は、サラリーマンの父を下に見ていました。また、家にはわがままな姉が同居していて、やっかい者の姉の世話を叔父が父に、そして私たちに押し付けたことも、兄弟間の関係を悪くした原因でもありました。

 

やがて姉は亡くなったのですが、姉や父が亡くなった後は、父方の親族とは疎遠になりがちでした。残された母と私は、父方の親族との付き合い方がとても難しくなり、文字通り「二人きりで生きていくのだ」、という覚悟がついたものです。

 

一周忌を終えた頃、母は疲れが出たのか、「調子が悪い」と言うことが多くなりました。私も再開した仕事をすでに休職していて、母とふたりで「お疲れ様旅行でもしようか」と言っていた矢先でした。紅茶色の尿が出た、と言うのでびっくりして、すぐに近くの医院へ。すると、「うちでは検査機器がそろっていないので、大学病院を紹介します」とのこと。すぐに大学病院に行くと、「入院して検査を」と言われました。そして、「よくて膵炎(すいえん)、運が悪いとすい臓がんかもしれません」と言われてしまったのです。

 

ざわつく胸を抑えながら検査を終え、数日間を過ごすと、恐れていたように、母はすい臓がんでした。2011年の年末のことです。すい臓がんは、気づいときには、手術ができないことが多いと聞きます。母の場合も、がんの周囲を血管が張り巡り、手術は無理だと言われました。そうなると、抗がん剤の点滴が頼りになります。

 

2週間に1度、外来で点滴をし、血液検査、CTを受ける。点滴のあとは疲れきってしまうので、毎回私が付き添いました。気丈な母は、そんな状態になっても、自分のことより私を気遣います。医師の説明を受けるときには、「私がひとりで聞いてくるから、あなたは外で待っていて」と、診察室に入っていきます。子どもの私には、ストレートに死を突きつけたくなかったのでしょうね。元気なうちは、自分だけで受け止めようというつもりだったようです。看病をする私よりも、母のほうが覚悟ができていたようでした。

 

抗がん剤が効かなくなり、運命を受け入れて

3_2外来で点滴を始めてからは少しずつ体力が弱まり、半年経つと、胆管が詰まり、入退院を繰り返すようになりました。プラスチックの管(ステント)で胆管を拡張したら元気になるかと思ったらそれも詰まって発熱。ステンレスの網状の管に替えたらまた詰まり、結局プラスチックに戻すといった具合で、そのたびに母は体力を失っていきます。その間、母の姉はなにかと声をかけてくれ、慰めてもくれましたが、父方の親族は、「我関せず」とばかりに無視です。高齢の叔母にあれこれ頼むわけにもいかず、私がひとりで母の介護を担いました。

 

8月になるといよいよ体力が衰え、点滴の抗がん剤も効かないとわかってきました。この時点で、がんの進行はステージ4B。母とふたりで、「絶望的だね……」とつぶやくと、しばらく話す気にもなれなくなりました。病院からは、「飲み薬の抗がん剤もありますが、どうしますか?」と言われていましたが、薬を飲むと、食欲が落ちてしまいます。夏場の暑いときで、それでなくても食欲が落ち気味、薬でがんをやっつけるほうがいいのか、食事をちゃんと食べて免疫力をつけるのか、どうしたらいいのかと母と話し合い、結局は薬なしで、退院することにしました。

 

8月にはすでに腹水がたまっていました。11月になると、おなかがはちきれそうなぐらいになり、我慢強い母も、ついに「しんどい……」と言い始めました。「じゃあ、入院する?」と聞くと、力なく首を縦に振ります。また病院に戻ることになりました。入院するや、またしても胆管炎だと言われました。細菌に打ち勝つだけの体力が残っていないようでした。病院は、「1週間から10日で改善すれば帰れますが、そうでなければ覚悟してください」と。いよいよ、母の命も終盤を迎えることになりました。

 

たったひとりで介護をし、たったひとりで閉じる命を受け止める。それは私にとって、重すぎました。夏頃から、食事がなかなか喉を通らなくなり、1日に1回食べるのがやっと。私自身もどんどんやせてきました。

 

最終回の次回は、母親の死を受け止めるY・Aさんの姿をお伝えします。

 

*本文中の写真はイメージです。

 

*この体験談の1回目2回目3回目4回目(最終回)はこちら

 

プロフィール

Y・Aさん(女性 36歳)
東京都在住。2006年、もともと肺が弱かった父親が73歳のときに認知症を発症。肺の持病もこじらせて入退院を繰り返す。Y・Aさんは、この頃、父親の言動をめぐってうつ状態に。父親は2010年には療養病院へ。同年に亡くなる。一息つく暇もなく、2011年に母親がすい臓がんと診断される。抗がん剤の点滴をするが、2012年の末に70歳で死去。以後は、家族で暮らした家に一人暮らしをしている。

 

介護体験談はこちらの記事も参考に

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さまざまな介護体験を語っていただいています
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→ 介護体験談<祖父母の介護 編> 一覧
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