有料老人ホーム・介護施設の資料請求ならオアシスナビ

広告掲載をご検討の方

オアシスナビ×ハートページ

遠方に一人暮らしの母…仕事も続けたい娘の選択~介護体験談 Nさん 1|オアシスナビ 介護の知恵袋では、お役立ち情報を毎日配信!

目的別に記事を探す

連載スタート!認知症★ドタバタ介護日記

W認知症・じーちゃんばーちゃんと暮らす、ゆず子の介護奮闘記!

【最終回】ゆずこ家の介護はまだまだ続く!~漫画★孫娘のガチンコ介護

7月25日

【最終回】ゆずこ家の介護はまだまだ続く!~漫画★孫娘のガチンコ介護

→続きはこちら

遠方に一人暮らしの母…仕事も続けたい娘の選択~介護体験談 Nさん 1

2015年6月8日

介護には悩みがつきもの。まして仕事盛りの30代、40代、遠方に暮らす自分の母親が突然倒れたとなると…。会社を辞めれば収入がなくなる、何より今やりがいのある仕事も捨てないと介護に専念することもできない。「遠く離れた親の介護」は仕事で故郷を離れて暮らしている子供世代にとって、他人事ではないテーマです。
 

今回は、沖縄で脳内出血で倒れたお母様を、自宅でみたいからと、東京に上京してくるよう行動したN・Mさんの介護体験談をお送りします。どうぞ参考にしてください。今回が第1回目です。

 

*この体験談の1回目2回目3回目4回目(最終回)はこちら

 

出張先のホテルで母が脳出血で倒れたと連絡が

1_1私は、学校を卒業すると、故郷宮崎を離れ、沖縄の大学に通い、IT関連の仕事を得て東京に就職。そのまま東京に根を下ろし、充実した仕事を楽しみながら、海外旅行や様々な趣味、美味しいお店での食事と、都会の暮らしを満喫していました。

そんな暮らしをしていた私も30代半ば、何度かの転職で念願のITコンサルティング会社に就職し、夜も昼もなく仕事に没頭していました。

 

その当時、母はヘルパーの資格を生かし、ご縁のあった沖縄の療養型病院で介護職員の職を得て、深夜勤務もこなしていました。自分のことは何でもできる人でしたから、心配することは何もありませんでした。

しかし、2001年の秋、あと2カ月で定年退職というときに、脳内出血で倒れてしまったのです。63歳の10月の出来事でした。

 

 

どうも出勤前にシャワーを浴びていたら、自分の体がコントロールできなくなり、立てなくなったようです。「このままではまずい!」ととっさに考えた母は、裸のままで玄関から廊下に出て助けを呼びました。同じアパートに住む住人が異変に気づいて救急車を呼び、自分の勤めていた病院に連れていかれたものの、脳疾患の可能性が高いと脳外科のある総合病院にすぐに運ばれたようでした。

 

私はそのとき、出張で鹿児島の半島の突端近く少し不便な場所にいました。連絡に気が付いたのは夜、母の住んでいる沖縄に行くにはすでに、飛行機はなく、母の元にすぐに行きたい、母は大丈夫なのか・・・色々なことが頭をよぎり眠れないまま、翌朝のフライトで母のもとにかけつけました。空港に到着後タクシーで母が入院している病院に向かい、母が入っている緊急治療室に向かうと母はベッドに横たわり、息はしているものの、表情も乏しくぼんやりしている様子です。

 

話しかけても、記憶が曖昧で、言葉もうまく出てこない様子です。先に到着していた妹たちから説明を聞くと、MRIで見ると3センチの出血があり、幸い影響範囲が小さく命に別状なないものの、脳がまだ全体的に晴れている状態らしい。担当医師から、「右半身まひは残るでしょう。退院後の生活をどうするか入院期間中によく話をしておいて下さい」と言われました。いつもと余りにも違う母の状態に、もとの母に戻ることはあるんだろうか……。姉妹で顔を見合わせました。

 

しかし、母には根性とがんばりがありました。最初右に大きく傾いて座れなかったのですが、1週間後には支えなしで座れるようになり、熱心で懸命なリハビリで、なんと1カ月で歩けるようになったのです!その後は、自宅に戻っても料理ができるように病院でリハビリを兼ねて料理をしたり、手先の訓練などにも積極的に取り組み、2カ月後には、一人暮らしができるぐらいに回復。家族みんなで喜び合いました。

 

そうは言っても杖歩行の母には、バリアフリーからほど遠い以前の賃貸アパートにそのまま住むことはできません。その当時仕事で余り母のことはできない私に変わって、次女が入院期間中に住まいを片付け、引越しの手はずも全てとってくれました。同時に介護保険の認定調査を受けると、要支援2。介護保険でデイケアに週2回ほど通い、訪問の生活介護を週1回受けながら、母は引っ越した先のアパートで、その後もまた10年近く一人暮らしをしてきたのです。

 

離れていても、ポットが見守りをしてくれる

1_2母の暮らしは、なんとか自分の年金でまかなえました。長く病院勤めをしていたこともあり、普段の歩行や動き方で注意するところは解っていますし、誰とでも仲良くなれる母の性格があれば、そこそこ自分で生活して行けそうです。ただ、この間みたいに、たったひとりで倒れた時が問題です。そこで、姉妹でいろいろと話し合い、「ポットに見守りをしてもらう」ことになりました。

 

農家に育った母は、お水よりお茶。毎日電気ポットにお湯を沸かして、日に何回かはお茶を飲みます。そこでその当時ポットメーカーが提供していた、ポットの給湯ボタンを押した時間を携帯電話にメールでお知らせしてくれる安否確認サービスを使いました。日に2回、電源と給湯の情報が携帯電話に送られてくるので、「ああ、今日も元気だ」とわかり、安心して仕事ができました。深夜12時過ぎに給湯している日は、「何か病気かな?」と母に電話し、離れていても安心して見守ることができたのです。そして時には母に東京へ来てもらい、お相撲や観劇を一緒に楽しみ、あちこち家族ででかけるのを年間行事のように楽しむ日々を取り戻したのでした。

 

デイケアの職員さんからの一報で迫られる決断

デイケアに行くと言っても、母は元ヘルパー。施設では積極的にお湯のみの洗いとヘルパーさんの人生相談、ご飯やおやつの差し入れをしていました。そのせいもあって、私がデイケアに行くと職員の方が「いつも良くしてもらっています」と。母もきっと仕事のように生きがいを感じて通っていたようです。

 

ところが2010年の夏、担当しているケアマネさんから連絡がありました。「おかあさんが落ち込んでいるから、連絡してあげてくれますか?」とのこと。なんだろう、と思ってすぐに電話をしてみました。でも、元気がないというほどでもなく、世間話をして電話を切ったのです。「なんだぁ、どうってことない」そのまま普段の自分の生活に戻っていきました。
しかし、しばらくして今度は一番母が仲良くしているデイケアの職員の方から連絡がありました。「とにかく、一度行ってあげてください。今月一度もデイケアにいらっしゃらないんです。心配です」とかなり切羽詰った様子です。そこで、急ぎ、末の妹に母のアパートに行ってもらったところ驚くべき状態でした。いわゆるゴミ屋敷です。

 

この部屋に最後に掃除機をかけたのは、いつなのだろうか。部屋はゴミであふれ、悪臭がしました。母自身もお風呂にあまり入っていないのでしょう、近くに寄ると、臭いました。ごはんはなんとか炊けるけれど、おかずづくりができない。だから惣菜をあれこれ買ってきては食べ残し、冷蔵庫に押し込むので、冷蔵庫の中もひどい状態になっていました。

 

認知症? そうかもしれない……。ケアマネジャーさんが、「もう、おひとりで暮らすには、限界が来ています」。たしかにそうです。この惨状を見て、思わざるを得ませんでした。
「母の一人暮らしは限界。すぐにでも沖縄から東京に引っ越しをさせなければ。幸い私のマンションは2名まで住めるし、母と一緒に暮らそう」。そう決意しました。しかし、母と一緒に暮らすことは、そう簡単ではありませんでした。

 

次回は認知症となった母をどう東京に引っ越しさせるか・・・試行錯誤の様子をお伝えします。

 

*写真はイメージです。

 

*この体験談の1回目2回目3回目4回目(最終回)はこちら

 

プロフィール

N・Mさん(女性 49歳)会社員
東京都在住。大学卒業後、上京し、以後会社員として忙しく働く。36歳のときに沖縄在住の63歳の実母が脳出血で倒れる。三姉妹で力を合わせ、看病をし、本人も懸命のリハビリで日常生活ができるようになった。10年後の2011年に、脳血管性の認知症を発症。三姉妹とも沖縄に戻って実母を介護することができず、東京に呼び寄せてN・Mさんと同居することになった。現在、実母は76歳。

 

介護体験談はこちらの記事も参考に

私が思う「良い老人ホーム」より
●デザイナー・東海大学講師/山崎 正人さん
●モデル・タレント・ビーズ手芸家/秋川 リサさん
●フリーアナウンサー/町 亞聖さん
●エッセイスト・ライター/岡崎杏里さん
●フリーアナウンサー/岩佐 まりさん
●映画監督/関口 祐加さん
●漫画家/岡 野雄一(ぺコロス)さん

 
さまざまな介護体験を語っていただいています
→ 介護体験談<親の介護 編> 一覧
→ 介護体験談<義理の親の介護 編> 一覧
→ 介護体験談<妻・夫の介護 編> 一覧
→ 介護体験談<祖父母の介護 編> 一覧
→ 介護体験談<その他の介護 編> 一覧

関連する記事
コメントを書く
ユーザー名:40文字以内
コメント:200文字以内
この条件で検索

このページのトップに戻る

都道府県から老人ホームを探す