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九死に一生を得た母親をどこで介護するのか~介護体験談 Jさん 3

2015年3月30日

背中の痛みを常に訴えるので、家族の過労を考えて、老人保健施設に入居することになったJ・Uさん。ところが、薬が合わない、と思っていた矢先、誤嚥性肺炎がひどくなり、意識がなくなっていた……。最悪のケースに遭遇し、家族は事の深刻さにあわてます。母親の体調の悪さもピークを迎え、家族の疲労も増しているこの時期に、家族が示した決断は……。第3回目の体験談も、続けてお読みください。

 

*この体験談の1回目2回目3回目4回目(最終回)はこちら

 

意識は混濁し、いびきをかいて眠る

3_1誤嚥性肺炎で意識を失った母は、急性期病院でこんこんと眠り続けました。知らせを受けた私も、東京からあわててかけつけます。

 

変わり果てた母の顔を見ると、涙があふれてきました。月に1度しか行かなかった私は、親不孝だった。私がもっと介護に真剣になれば、父や姉だってラクだったかもしれない。こんなことにならなかったかもしれない……。

 

父や姉を前にしては言えない感情が、胸にこみあげてきます。もちろん、父も姉も私以上に悲しく、苦しい顔をしていました。

 

10年も介護をがんばって、どうにも疲れて老人ホームにお願いしてみたら、こんな結果になるなんて。母はもちろん、父も姉もかわいそうすぎる。なんのための10年だったのだろう。虚しさも押し寄せます。介護ってなんなんだろう、報われることはないのだろうか……。

 

数日後、母は目覚めました。しかし、意識は混濁し、また眠ってしまいます。意識が戻ったと思って、「お母さん、お母さん!」とみんな声をかけるのですが、声にならない声で怒ったかと思うと、いびきをかいて眠ってしまう。その繰り返しです。私は東京と名古屋を行ったり来たりでしたが、父や姉は頻繁に見舞い、悲しい思いで家に戻る日々が続いているようでした。

 

1カ月ほどたつと、起こすと目が覚めるようになりました。以前と違う、童女のような目をしてボーッとしています。「脳に障害が出たのか」と最初はショックでした。けれど、生きていればいい、起きている時間が増えてくれれば……。そんな思いで数日過ぎてみると、次第に母の意識がはっきりしてきたのです。そして、時間をかけて意識レベルが以前と同様に戻ってきました。本当に胸をなでおろしました。

 

ただ、母は、病院で寝ている間に衰弱し、やせ細りました。ずっと寝ていたので首の力がなくなり、誤嚥性肺炎をますます起こしやすくなっています。最初の大手術で首から背中、ウエストまで切ってしまったことが、首の力をなくす要因でもあったようです。水やおかゆをのどに入れてもゴボゴボと吹き出してしまうことがあり、これでは危険だということになって、首にコルセットをつけるようになりました。

 

入院していた病院は、「もう現時点では、治すところはない」ということですので、退院しなくてはなりません。しかし、以前の老人保健施設への不信感が拭えず、母も父も姉も私も、「あそこには戻したくない」という思いがつのるばかり。結局、自宅に戻ることになりました。

 

自宅での穏やかな時間を得たものの…

3_2あんなに大変だったのに、言い出したのは、父と姉。私はふたりに、頭を下げるばかりでした。私も月に一度の自宅通いを再開させ、2日ではなく、できる限り長くいられるように努力しました。母はそれなりに順調に回復をしました。6年前の5月に退院、夏もうまく越すことができました。

 

ところが、12月にまた誤嚥性肺炎を起こし、以前に搬送された病院へ緊急入院。肺にたまった水を抜くことになり、もっと大きな病院へ転院。しかし、そこでも水がうまく抜けないまま…やむをえず退院することになりましたが、母はますますやせてしまいました。

 

退院後、再び家に戻りましたが、体力を失い、通院も大変だということで、往診に切り替えました。その後、心臓の動きが悪くなっているので、冠動脈を広げて金属の管(ステント)を入れて、尿が出にくくなったので尿管を入れて。コルセットもあいかわらずつけたままです。痛々しいほどの姿でここ数年は過ごしています。

 

家の中は、時間をかければなんとか歩けるので、大便をするときはトイレへ。それ以外はほとんど横になっている状態。これでは寝たきりになってしまうからと、ケアマネジャーさんと相談し、3年前からは車椅子で週2回、デイサービスに通う日々。これで、父も少しは休まる時間が持てています。

 

母は小学校の保健師として30年勤務し、その後、祖父の経営する幼稚園の園長を10年以上続けました。80代の女性としては先進的なのかもしれません。そんな母ですから、デイサービスで「おばあちゃん」と呼ばれることに抵抗を示していました。「行きたくない」「人を馬鹿にして!」。そのたびに、父や姉がなだめてきました。

 

しかし、徐々に慣れてきて、今は実は楽しんでいる部分もあるようです。そのデイサービスは、お金を持ってデパートにでかけ、好きなものを買って帰るなど、高齢者がふだんできないことをさせてくれるのです。母は「服や雑貨はもういらないから」と、買い物に行くたびに父にお菓子など食品を買って帰りました。母なりの父への感謝の気持ちの表れなのだと思います。デパートでの出来事を語る時の母は、病気になる前の母と変わらないような気がして、私たちもうれしくなりました。

 

私がすることといえば、以前のように、家族の食事を作り、掃除や洗濯、母の入浴の介助をすること。尿管につないだバッグを取り替えること、母の話し相手になること。母は88歳になりますが、認知症というほどのことでもなく、私とも会話ができます。私が行くと喜んで、口数が多くなるというのも、介護の張り合いになりました。

 

調子がいいので、このお正月休みは、姉を海外旅行に送り出すことにしました。私が実家で過ごせば、姉は介護から開放されます。19年間、自分の子どもが1歳になるかならないかという時から、姉は母の介護を続けているのです。休暇を取って気分転換をさせてあげたい。その一心でした。

 

姉は、心配しながらも出かけ、そして十分に楽しんできたようです。「旅先では本当によく眠れた。介護の心配のない夜は、落ち着くわね」と顔色もよくなって帰ってきました。このままこの小康状態が続くといいな、父も私も姉も思いました。

 

しかし、そうはいきませんでした。母を襲ったのは、またもや「原因不明の」症状だったのです。

 

最終回は、奇病に襲われた母親と家族の様子をお伝えします。

 

*写真はイメージです。

 

*この体験談の1回目2回目3回目4回目(最終回)はこちら

 

プロフィール

J・Uさん(女性 47歳) グラフィックデザイナー
東京都在住。夫、中学1年生の長女の3人暮らし、実家のある名古屋市に実母88歳、実父82歳が暮らす。夫を亡くした姉(小学校教員)と21歳になる娘も同居している。足指の痛み解消のために行った手術をきっかけに、体調が悪化していく母親の世話をするために、故郷に行く回数が徐々に増えていく。はっきりとした病名がつけにくい病気にばかりかかり、周囲も気持ちが定まらないまま介護をする。父もまた大手術をするなど、老老介護もままならなくなり、8年ほど前から遠距離介護を続けている。

 

介護体験談はこちらの記事も参考に

私が思う「良い老人ホーム」より
●デザイナー・東海大学講師/山崎 正人さん
●モデル・タレント・ビーズ手芸家/秋川 リサさん
●フリーアナウンサー/町 亞聖さん
●エッセイスト・ライター/岡崎杏里さん
●フリーアナウンサー/岩佐 まりさん
●映画監督/関口 祐加さん
●漫画家/岡 野雄一(ぺコロス)さん

 
さまざまな介護体験を語っていただいています
→ 介護体験談<親の介護 編> 一覧
→ 介護体験談<義理の親の介護 編> 一覧
→ 介護体験談<妻・夫の介護 編> 一覧
→ 介護体験談<祖父母の介護 編> 一覧
→ 介護体験談<その他の介護 編> 一覧

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