有料老人ホーム・介護施設の資料請求ならオアシスナビ

広告掲載をご検討の方

オアシスナビ×ハートページ

ついに最期を意識…介護施設?自宅?どこで過ごすか~介護体験談 Wさん3|オアシスナビ 介護の知恵袋では、お役立ち情報を毎日配信!

目的別に記事を探す

連載スタート!認知症★ドタバタ介護日記

W認知症・じーちゃんばーちゃんと暮らす、ゆず子の介護奮闘記!

どうなる?一人暮らしの認知症ばーちゃんの今後~漫画★孫娘のガチンコ介護

6月20日

どうなる?一人暮らしの認知症ばーちゃんの今後~漫画★孫娘のガチンコ介護

→続きはこちら

ついに最期を意識…介護施設?自宅?どこで過ごすか~介護体験談 Wさん3

2015年2月2日

母親が亡くなり、肺気腫に前立腺肥大や骨折と、さまざまな病気を抱える父親の介護に追われることになったW・Tさん。しかし、その父親も倒れ、最期が見えてきた……。そのとき、彼女はどんな行動をとったでしょうか。「介護」とは何かを考えさせられる、第3回です。

 

*この体験談の1回目2回目3回目4回目(最終回)はこちら

 

大腿骨骨折、そして危篤状態に……

3_1救急搬送された父は、さっそくその日から水を抜きました。肺の機能が通常の半分しかなく、その分、心臓に負担がかかり、心不全になりやすいのです。血流が悪くなるので、毛細血管から水が肺に回り、肺に水がたまります。脚なども含め、全身がむくんでいたため、8㎏もの水を抜いた父。おかげで体が軽くなり、息苦しさもだいぶなくなったといいます。

 

今後は年に1回は入院して肺の水を抜くことになりました。「いやだ」とごねていた父も、あの息の苦しさを思うと、納得せざるを得なくなりました。

 

母が亡くなって5年。肺の具合はだんだん悪くなっていきます。風邪やインフルエンザは大敵で、冬になるとひやひやしました。父はたびたび熱を出し、寝込んでしまうことも多くなりました。食欲が落ち、何日も食べられない日が続いて、もう死に向かうのではないかと絶望します。が、その都度、突然回復しては、生命力を見せてくれたものです。

 

しかし、2年前、父が87歳になった年に、ついに夜中、布団から起き上がったときによろけて倒れ、大腿骨骨折をしてしまいました。ふつうの大人なら、擦り傷もできないような場所で転んだだけで、大腿骨を折ってしまうなんて。父の骨ももろくなっているのでしょう。その夜は寝かせ、翌朝早く病院に連れて行こうと思っていたら、骨折も影響したのでしょうか、「おなかが痛い、息も苦しい」と騒ぐのです。おなかや胸のあたりがむくんでいるのがわかり、救急車で搬送されました。思えばこれが、7回目の入院でした。

 

私は骨折や腹痛を気にしていましたが、「脚どころではありません。問題は心臓です。まぎれもない危篤状態です」と医師に真剣な顔で言われ、背筋が凍りました。これまでにないほどの心臓肥大で、呼吸困難。顔面マスクです。医師は「残念ですが、このマスクははずすことはできないでしょう」と断言しました。

 

ついに最期……。私は、覚悟しました。後悔しないように、ちゃんと看病しよう。母は急に逝ってしまったけれど、父は私の心が整うのを待ってくれている。毎日父に話しかけ、悔いのない看病をしよう……、そう思っていたのですが、1週間たつと、マスクごしに「おなかがすいた」と父が言うのです。あわてて看護師さんを呼ぶと、看護師さんもびっくりし、医師は「すばらしい生命力ですね」と感心してくれました。

 

もう家に帰れないのか……

3_2父は少しずつ回復していきました。しかし、大腿骨の手術は全身麻酔です。昨今は、90歳でも大腿骨の手術をするといいますが、肺気腫で心不全が深刻な父には、無理な相談。自然に骨が少しつくのを待つことになりました。急性期を過ごす病院は3カ月の入院が限度、次はリハビリ病院を探さねばなりません。家からはだいぶ遠かったのですが、空きのある病院は限られ、父は同じ県内でも不案内な土地へと運ばれて行きました。

 

この間にも父の心臓は弱くなり、リハビリさえ、十分にはできない状態になりました。病院の相談員は「この状態で自宅療養をするのは大変すぎます。一度介護老人保健施設に入り、特別養護老人ホームの空きを待つことになりますかね」と、申し訳なさそうに言いました。

 

私は夫とともに、父が入れそうな老健を探しました。父は1日4リットルの酸素を吸っています。3リットルまでなら入れるところは多いのですが、4リットルとなると管理が難しいとのことで入れるところが限られ、3か所の中から、父にふさわしいところを選ぶことになりました。父も、「施設でも、なかなか難しいのか。それじゃ、家に帰るのはもう無理だ。入れるところに行くよ」とあきらめてくれました。

 

行くべき老健を決め、入所まであと1カ月ほどとなりました。でも、決まったとたんに、私の気持ちはどんどん沈んでいきました。病院の部屋でぼーっとしている父を見ると、この父は老健かその先の特養で死に向かっていくのだろうと思えてなりません。何度も何度も死の淵からよみがえり、生命力を発揮してきた父。でも、人の命はいつか終わるのです。しかたがない、とあきらめた……はずなのですが、なぜこんなに気持ちが落ちてしまうのだろう。わがままで扱いにくい父。もしも自宅療養なんてことになったら、私はまた、体を壊すにきまっています。それは夫も許さないでしょう。でも……。

 

思い切って、夫に相談しました。
「これは私のわがままなんです。自己満足です。でも、いろいろ考えたけれど、父を家に帰してあげることはできないかしら」
夫は、「そう言い出すと思っていたよ」と、笑いました。「老人ホームに預ければ、ママは楽だろうけれど、精神的に参ってしまいそうだ。もし、自宅で療養できる方法があれば、病院に聞いてみたらいいよ」

 

病院に相談すると、驚かれました。「まあ、訪問看護や訪問介護を組み合わせれば、できないことはないでしょう。でも、たしかお宅は玄関に入るまでに階段が十段以上あるんじゃないですか? お父様は、この階段の昇降はできませんし、それができなければ部屋に引きこもることになりますよね?」

 

そこで、外階段に、昇降機をつけることにしました。費用は100万円近くかかると覚悟していましたが、住宅改修の助成があって、父の場合は50万円くらいですみました。その他、手すりを付けたりフローリングに変えるなどのリフォームには、介護保険の住宅改修の支援を使わせてもらって、7万円ほどですみました。それらは歯科医のパートで学費を貯めていたそのへそくりから支払い、足りない分は夫に借り、パートを再開して返す。「そこまでしなくていい」と夫は言いましたが、私も父の介護だけの生活に戻ったら、また精神的にも落ちてしまいます。人の手を借り、がんばりすぎない。これを教訓にするためにも、自分の時間を大事にするためにも、パートの仕事を再開しようと考えました。

 

私は父にこのことを伝えました。父は驚き、「本当に帰っていいのか?」とつぶやきました。
「いいよ、お父さん。そのかわり、わがままはナシだよ。私はお父さんがデイサービスに行っている間はパートに出るよ。たまには友達とランチにも行くし、夜遊びもするよ。お父さんのことばかりやってるわけにいかないから。老健に行けばプロがリハビリしてくれるし、いざというときにも安心。どっちがいい? お父さんが決めて」と強気で言うと、父は珍しく殊勝に、「帰りたいです。お願いします」と頭を下げました。

 

次回は自宅に戻ったお父さんの様子をお伝えします。

 

*写真はイメージです。

 

*この体験談の1回目2回目3回目4回目(最終回)はこちら

 

プロフィール

W・Tさん(女性 56歳)歯科医院勤務
千葉県在住。夫、社会人の長男、大学生の長女がいる。8年前、同居した両親(父80歳、母71歳)が同時に体調を崩し、2人の介護に追われる。先に母親が死去し、その後は骨折や肺気腫の症状で呼吸不全を繰り返す父親の介護に明け暮れる。夫や子供たちは理解があるが、その状況をひとりで抱えてしまったW・Tさん自身が体調を崩し、早々にパートの仕事を辞めるが、2年ほどは腰痛に悩まされる。現在はもとの仕事にもどり、週3日出勤する。

 

介護体験談はこちらの記事も参考に

私が思う「良い老人ホーム」より
●デザイナー・東海大学講師/山崎 正人さん
●モデル・タレント・ビーズ手芸家/秋川 リサさん
●フリーアナウンサー/町 亞聖さん
●エッセイスト・ライター/岡崎杏里さん
●フリーアナウンサー/岩佐 まりさん
●映画監督/関口 祐加さん
●漫画家/岡 野雄一(ぺコロス)さん

 
さまざまな介護体験を語っていただいています
→ 介護体験談<親の介護 編> 一覧
→ 介護体験談<義理の親の介護 編> 一覧
→ 介護体験談<妻・夫の介護 編> 一覧
→ 介護体験談<祖父母の介護 編> 一覧
→ 介護体験談<その他の介護 編> 一覧

関連する記事
コメントを書く
ユーザー名:40文字以内
コメント:200文字以内
この条件で検索

このページのトップに戻る

都道府県から老人ホームを探す