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「ごめんな」と言う父に何も言えなくて~介護体験談 Yさん 4

2014年11月17日

Y・Kさんの介護体験談も最終回を迎えます。民間療法で奇跡の生存を続けていた父親は、告知後1年半で体調の大きな変化を迎えました。三姉妹の介護もピークを迎えます。

 

*この体験談の1回目2回目3回目4回目(最終回)はこちら

 

脚のむくみは三姉妹が代わる代わる手入れを

4_1元気で歩いていた父ですが、足のむくみがひどくなり、動きが悪くなりました。血栓ができて血行が悪くなり、足がどんどん腫れてくるのです。私も妹たちもしょっちゅう父の下肢のマッサージをしていました。ひとりで両足をやると時間がかかるし、時間差になってしまうので、ふたりで片足ずつ、アロマオイルをつけてマッサージをしていました。最初のうちは、マッサージをすれば、むくみがだいぶとれて、ラクになっていました。けれどそのうちに、マッサージをしてもしてもむくんできました。
体もやせ、足だけでなく、手も動きにくくなってきました。

 

すい臓がんを告知されてからずっと、「がんを小さくして手術をして、元気になるんだ」と前向きに取り組んできた父ですが、介護ベッドを入れた2012年の11月頃に、父は東京にいる私に電話してきて、こう言いました。
「がんばって世話してくれたのに、ごめんな。おとうさんもう、ダメかもしれない」
こんな弱音を吐くなんて――。私は悲しくてたまりませんでした。
「そんなことないよ、パパ、これからだよ」
励ましたつもりでしたが、私の声は震え、自分の不安が全部父に伝わってしまったことを悔いて、電話を切ったあと、ひとりで泣き続けました。
明るくふるまってきた父ですが、もしかしたらもっと前から、自分の命の終わりを感じていたのかもしれません。けれど、私たち姉妹も母も、口に出せば何かが壊れてしまうような気がして、だれも言い出せなかった……。今思えば、言い出せない私たちのことを思って、自分から言ってくれたのかもしれません。

 

妄想列車が止まらない?

4_2介護ベッドで寝るようになってから、父の容態はガクンと悪くなりました。背を起こすこともなく、テレビを見る気力もなく、一日中ベッドに横になっていました。けれど、それでいて眠れない日々が続き、わけがわからないことを言うのです。主治医が言うには、「それは死への恐怖」だそうです。どんなに達観している人でも、自分が死に向かっていると実感し始めたら、怖くて眠れなくなるのだそうです。主治医と相談し、一度はモルヒネを処方してもらいましたが、今度はコンコンと眠りすぎてしまい、結局は自然のままにしようということになりました。

 

それでも父は気丈で、そんな自分のことを、「妄想列車を走らせているんだよ」などと言っていました。ときには「そろそろ食事を運んでもらおうか」などと、まるで温泉旅行中のようなことを言います。8月頃、「この先、行けなくなってしまうだろうから」と、母や妹たち、うちの子供たちといっしょに、伊豆に2泊3日で旅行に行ったことがうれしくて、いつまでも頭に残っているのかもしれません。父の住む家には、最初から同居していた母、末の妹のほかに、真ん中の娘も加わり、私も頻繁に帰省するようになったので、父にとっては、昔の家族の光景が戻ってきたかのようで、それもうれしく思っていたのでしょう。私たちも、そんな父の妄想をそのままにしておきたくて、「そうね、仲居さんに運んでもらいましょう」などと声をかけました。

 

いよいよ父の容態が悪くなり、もうトイレにもお風呂にも自力では行けなくなりました。
仕事を持っていない真ん中の妹は父親につきっきりで、部屋に寝泊まりして介護をしました。私も頻繁に実家に戻るようになり、身体介護をするようになりました。父親を裸にしてお風呂に抱いていったり、オムツを替えたりするなんて、若い頃には想像していませんでしたが、衰弱して目の前で寝ている父を見たら、自然にできるようになりました。
家族だけでは大変だからと、訪問介護のヘルパーさんもお願いしましたが、2、3回来ていただいたところで父の具合が悪くなり、入院したので、結局それだけしかお願いせずに終わりました。

 

時は、2013年の3月。子供たちはちょうど受験や就活が終わり、時間がありました。「おじいちゃんの最期だから」と言うと、子供たちも群馬までかけつけ、個室の父の部屋に大人とともに泊まり込みました。私たち姉妹に子供1人、2人ずつの体制で何サイクル泊まり込むだろうと思ったのですが、2サイクルしたところで、父は静かに息を引き取りました。

 

末期のすい臓がんになって、こんなに元気でいられる人は珍しい。そう言われ続けた父は、主治医にふたつのことを言いおいていました。ひとつは延命措置をしないこと、そしてもうひとつは、「世の中に役立てるために、死後は解剖してほしい」。どこまで強い人なのでしょう。私たち家族にとって、父は永遠に尊い存在になりました。
解剖の結果、父の内臓は、主治医に言わせれば、「散弾銃で打ち抜かれたみたいに傷みきっていた。この内臓で、いったいどうやって生きていたんだろう……」。父の魂が、父の体に奇跡を起こしたのに違いありません。

 

*写真はイメージです。

 

*この体験談の1回目2回目3回目4回目(最終回)はこちら

 

プロフィール

Y・Kさん(女性 52歳)主婦
東京都在住。実父は実母、Kさんの妹とともに群馬県で暮らす。3年前、76歳のときに父のすい臓にがんがみつかり、検査の結果、末期と判明。以後、半年ほど東京の病院に通院するも、実家近くの病院に再転院。Kさんは東京と群馬を自らハンドルを握って往復し、最期まで介護の主責任者となった。

 

介護体験談はこちらの記事も参考に

私が思う「良い老人ホーム」より
●デザイナー・東海大学講師/山崎 正人さん
●モデル・タレント・ビーズ手芸家/秋川 リサさん
●フリーアナウンサー/町 亞聖さん
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●フリーアナウンサー/岩佐 まりさん
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さまざまな介護体験を語っていただいています
→ 介護体験談<親の介護 編> 一覧
→ 介護体験談<義理の親の介護 編> 一覧
→ 介護体験談<妻・夫の介護 編> 一覧
→ 介護体験談<祖父母の介護 編> 一覧
→ 介護体験談<その他の介護 編> 一覧

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