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23歳で始まった父親の介護、そして母親の入院~エッセイスト 岡崎さん1

2016年5月24日

親の介護を綴ったコミックエッセイ『笑う介護。』をご存じでしょうか。著者の岡崎さんは、家族が病気がちで、幼い頃から親戚に預けられたり、母親の代わりに家事を担ってきたといいます。そして、23歳で父親が脳血管性の認知症になり、27歳で母親が卵巣がんに。一人っ子の岡崎さんは、20代の若くて楽しい時間を、2人分の介護や看病に費やすことになりました。仕事をしながらのダブル介護は、心を病むほどに大変でした。しかし、それを乗り越えて今があります。そんな中、見えてきた、良い介護施設や介護サービスについて、語っていただきました。

 

*このインタビューの1回目2回目3回目4回目(最終回)はこちら

 

○●○ プロフィール ○●○
岡崎杏里(おかざき・あんり)さん エッセイスト・ライター
1_1大学卒業後、編集プロダクション、出版社に勤務。23歳のときに、父親は脳出血が原因で認知症に。27歳のときに母親が卵巣がんになり、思いがけず二人の介護や看病をするヤングケアラーとなる。岡崎家の介護の様子を綴ったコミックエッセイ『笑う介護。』(成美堂出版)や、認知症をめぐる人たちのリアルな心情を綴った『みんなの認知症』(成美堂出版)を出版。他にも2冊の文庫本を出版している。現在は、結婚、出産を経験し、ダブルケアラーとして奮闘しながらも、ヤングケアラーへの取材(月刊『ケアマネジメント』にて連載)や介護エッセイの連載などを手掛けている。

 

 

両親が共倒れに…、周りの人に助けられ

――岡崎さんが23歳のときに、お父様は53歳にして脳出血で倒れ、脳血管性の認知症になられたんですよね。

岡崎さんの代表作『笑う介護。』(成美堂出版)。若くして始まった介護生活を漫画つきで楽しく紹介している

岡崎さんの代表作『笑う介護。』(成美堂出版)。若くして始まった介護生活を漫画つきで楽しく紹介している

はい。自分で事業を始め、健康を犠牲にしてまで働いていたことも原因のひとつではあるんですが、甘い物が尋常でないほど好きで(笑)。糖尿病だったのに、甘い物をやめなかったことも、血管をもろくして、脳出血に結びついたのかもしれません。まだ50代なのに、80代ぐらいの血管のもろさだったと言われました。それが、脳血管性認知症を発症した原因です。

 

でも、父が倒れた当初は、母がまだ元気でしたから、介護のほとんどは、母がやってくれました。私は編集プロダクションに就職して間もなく、仕事が忙しくて、父の病院の付き添いや母のグチを聞いたりするぐらいで。

 

それが、大変になったのは、私が27歳のときでした。母が卵巣がんで入院することになったんです。一人っ子の私は急に二人分の介護や看病をしなければならなくなって。

 

特に母の病状は深刻で、命の心配をしなくてはならないのに、認知症の父はちっとも理解していない。病院で深刻な説明を受けて帰って来たのに、家に着くなり、「どうしてかあさんはいないんだ」と言うんです。私が仕事で疲れて家に帰って来ても、絶対に夜7時には夕食を食べたがります。以前の習慣を変えることができなくて、少しでも遅れると甘いものを食べてしまう。私は認知症のことがよくわからなかったので、イライラしてしまいケンカばかりしていました。

 

仕事と父の世話と、母への心配。全部を一人でこなすなんて、27歳の私にはとうてい無理なことで。あまりにもストレスが大きく、過呼吸で倒れてしまったことが何度もあります。ちょうどそのころ、新卒で入った編集プロダクションを退職して、ずっと働きたかった出版社に転職していました。まだ2カ月目ぐらいだったので、よけい、精神的に追い詰められていたのかもしれませんね。念願かなって入社したのだし、クビになりたくない、という気持ちが強くて。父の介護のために早く帰らせてもらう分、家に仕事を持ち帰って無理をしていたのもあったと思います。

 

――どうやって乗り切ったのですか?
幸い、入社した会社には、私のように病気の親御さんがいる先輩がいて。理解をしてくれたので、助かりました。10年以上前の当時はインターネットの情報も少なく、認知症の情報を仕入れることが難しい時代でした。ですが、老人ホームに勤めている友達がいたので、その人に認知症の人のことを聞いたり、本を読んだりして知識をつけたのも、少し落ち着いて考えられるようになった理由かもしれませんね。

 

近所の方にもたくさん支えていただきました。過呼吸で倒れたときに助けてくださったり、料理のおすそ分けをいただいたり。普段からご近所と良い関係が築けていなかったら、自分一人ではどうにもならなかったかもしれません。

 

それと、友達のお母さんで看護師さんだった人が、すごく力になってくれたんです。その方は母と同じ病気を持っていたこともあり、とても親身になってくださいました。看護師は辞めていましたが、抗がん剤治療をしながらも、我が家のことを心配してくれて。「介護保険の申請をしなさい」って教えてくれたのもその方でした。50代で介護保険を申請できるなんて思ってもみなかったから、驚きました。でも、若年性認知症であれば、特定疾病として認定されているので65歳未満でも介護サービスが1割負担で利用できるんですよね。ご自分も体調が悪いのに、何かと心配をし、励ましてくれて。その方のおかげで、乗り切れた部分も大きかったですね。

 

当初は訪問介護サービスを利用した

――お父様は、どんな介護サービスを利用したのですか?

岡崎さんの著書『笑う介護。』の続編ともいえるブログ。続・『笑う介護。』

岡崎さんの著書『笑う介護。』の続編ともいえるブログ。続・『笑う介護。』

当初は、訪問介護のサービスを受けました。父の食事作りなどの生活援助ですね。食事を作ってもらえるだけでもとても助かりました。でも、当然私の分はなくて、介護保険当事者の父の分だけなので、味噌汁1人前だけ、みたいな感じで。それでも、父との食事をめぐるケンカもなくなったので、とても助かりました。

 

また他には、60歳までは、デイサービスではなくて、若年障害者のための、地域活動センターのようなところに行っていましたね。地域活動センターのことは、父はとても気に入っていました。家にいるのは嫌いな人だし、自分で歩いて行けたのがよかったのだと思います。同じような境遇、年齢の人が多く、スタッフの人がよくしてくれて、スタッフが大好きだったようです。ただ、利用は60歳まで、と決まっていまして。60歳で卒業することになったときは、ものすごく泣いたんですよ。「ここに通えなくなるのはいやだ」って。スタッフの方の力って大きいですね。

 

<今回のまとめ>

岡崎さんが考える「良い介護を受けるためのきっかけ」とは

 

・普段からご近所や友人など、良い人間関係を作っておく
・介護保険をできるだけ早く申請する
・本人と気の合う仲間やスタッフの人に出会う

 

次回は、お父様のデイサービスやショートステイの利用について伺います。

 

*このインタビューの1回目2回目3回目4回目(最終回)はこちら

 

 

老人ホームを検討される方は・・・【初めての老人ホーム探しガイド】

現在老人ホームや高齢者向け住宅を検討中の方は、こちらのページも、ぜひ参考にしてみてください。

 

●本人と家族にぴったりの老人ホームを探すには→ 老人ホームの「見つけ方・選び方」

 

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