赤い鼻をつけ、色鮮やかな衣装で老人ホームや病院などを訪れる金本さん。ピエロ? いいえ、「クラウン」といいます。
ピエロは劇の中などに出てくる道化師ですが、クラウンとは道化師全般を指すもの。そして、その風貌で人々にユーモアをもたらし、癒しを与える人、という意味合いもあるのです。
金本さんもまさに同じ。クラウンの衣装で、病院、老人ホーム、児童福祉施設の他、障害者施設を訪問して利用者さんに接することで、その方の魂に触れ、ユーモアや癒しを贈ります。
こうした“ケアリングクラウン”の活動をするため、日本だけでなく、世界中を訪問しているのです。
そこで、老人ホームへも50カ所以上訪問している金本さんに、利用者さんと触れ合う中で感じた「良い老人ホーム」について、語っていただきます。
*このインタビューの1回目、2回目、3回目、4回目(最終回)はこちら
○●○ プロフィール ○●○
金本 麻理子(かねもと・まりこ)さん ケアリングクラウン・ケアリングコーチ
東京都港区生まれ。幼稚園教諭を17年務め、訪問介護ヘルパーを経験。2003年11月、アメリカ映画『パッチ・アダムス』のモデルとなったDr.パッチに逢ったことが転機となり、彼と共に世界各国の施設や病院などをクラウンとして訪問。日本でもケアリングクラウンの活動を広めている。
現在「Clown one Japan」というケアリングクラウングループの代表を務め、全国の高齢者施設、病院、児童養護施設、被災地などを訪問。また、ケアリングコーチとして医療・福祉従事者、教育者を中心にサポートしている。その他、美容専門学校、医大生、NPO団体、医療・福祉従事者向けの「ケアリングクラウンの観点から考えるコミュニケーション」の講演会、ワークショップなどを開催。
認知症の祖母を受け止めきれなくて
――金本さんがケアリングクラウンを始めて、もう14年がたつのですね。始めたきっかけは?

金本さんのウェブサイト
私は短大を出て幼稚園教諭を17年間務めたのですが、途中、同居していた祖母の世話をすることになったんです。
両親は飲食店の経営で忙しく、4姉妹だったものの、ほかの姉妹は結婚して家を出ていましたし、多忙でした。そういった理由もありますが、小さい頃から祖母にかわいがられ、おばあちゃん子だった私が面倒をみるのは当然だと思っていました。
しかし、祖母は認知症になっていたのです。当時は「認知症」という言葉もなかった頃。私も認知症に対する知識がほとんどありませんでした。
祖母の気持ちが穏やかになるように接することができればよかったのですが、大好きな祖母が「壊れてしまった」と悲しむあまり、祖母と接すること自体がストレスになってしまって。
そうなると、幼稚園でも大好きな子どもたちに対してうまく接することができない。つまらないことでつい怒ってしまうこともありました。祖母の世話にも自信を失い、仕事にも自信を失って、だんだんうつ状態になってしまったのです。
やがて、祖母は衰弱していきました。とうとう病院に入院することになり、最期に近い時期には、私はよく病院に泊まっていました。
その日はあまりに祖母の状態が悪く、深夜、祖母の回診に来た医師が、「そろそろ…」と言うのです。
動転しながら家に電話をするのですが、当時はダイヤル式の黒電話。寝室には電話機がなかったので、なかなか両親も姉妹も電話口に出てくれません。
右往左往して電話をかけているうちに、医師から「●時●分、御臨終です」の声が……。
エッ!? 必死で電話をし、祖母に背を向けている状態で亡くなってしまったの!?
お別れもできなかったし、両親も姉妹も呼べませんでした。
祖母をきちんと看取れなかった、という後悔が、私を責め立てました。うつ状態はますますひどくなり、食事もとれなくなって……。
パッチ・アダムスのように、たくさんの人を癒したい

パッチ・アダムスと金本さん
そんなとき、ふとテレビでパッチ・アダムスの自伝のような映画を観たんです。パッチは自ら3回も自殺未遂をして精神病棟に入院した人。
でも、病院のグループディスカッションでほかの患者さんたちに接する中で、ジョークで人を笑わせる才能を自覚したのです。以来、精神科医になり、苦しむ患者さんたちを、赤い鼻をつけた姿で癒す活動を始めるんですね。
この人しか、私のうつ状態を治してくれる人はいない!と思いました。彼に会いたいと思い続けて2年後に、その願いがようやく叶いました。
そのとき彼は私を大きな体で包み、「よく来たね」と言ってくれたんです。2003年のことでした。
以来、私はパッチやその仲間と共にロシア、中国、チベット、イタリア、エクアドル、アメリカなどの高齢者施設や病院などをクラウンとして訪問し、日本でもケアリングクラウンの活動を広めています。
私がパッチにしてもらったように、私もたくさんの方に癒しをプレゼントできたらと思っています。
――金本さんは介護の仕事をしていた時期もあるんですね。
はい。ヘルパー2級(現・介護職員初任者研修)の資格を取り、高齢者や障害のある方の訪問介護をしていました。祖母にできなかったことをしたい、という気持ちからでした。
クラウニングでパッチと世界を回りたい、という気持ちも強かったので、登録制のヘルパーなら時間も作りやすくて希望に合致していましたしね。
メンタルコーチの資格を取得して、日本の医療や介護を受ける患者さん、利用者さん、そして職員の方のサポートもしています。
さらに、クラウンの養成講座も開き、人々を癒せるケアリングクラウンを世に生み出していく活動もしています。
次回は、老人ホームに訪問したときの様子を伺います。
<三輪 泉(ライター・社会福祉士)>
*このインタビューの1回目、2回目、3回目、4回目(最終回)はこちら
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