福祉や介護をテーマにノンフィクションを書き、長年住み慣れた東京・世田谷区で「認知症カフェ」なども開く中澤さん。しかし、最期を迎えたいのは、故郷の長野県松本市かもしれないといいます。そのとき、どんな住まい方をし、どう命を閉じるのか。自身の看取りまでを淡々と語ってくれます。
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○●○ プロフィール ○●○
中澤 まゆみ(なかざわ・まゆみ)さん ノンフィクションライター
1949年長野県生まれ。雑誌編集者を経てライターに。人物インタビュー、ルポルタージュを書く間に、友人女性の介護を引き受け、後見もすることになった。以後、医療、介護、福祉、高齢者問題にテーマを移し、『おひとりさまの「法律」』『男おひとりさま術』(ともに法研)、『おひとりさまの終活』(三省堂)など、ひとり暮らしの老後について著作を深める。その後、『おひとりさまでも最期まで在宅』『おひとりさまの終の住みか』を出版。近著は『おひとりさまの介護はじめ55話(親と自分の在宅ケア・終活10か条)』(いずれも築地書館)。在住している世田谷区ではコミュニティカフェなどを開催。全国で講演を行う。現在、友人と母、ふたりの認知症の人を介護中。
中澤まゆみさんのFacebook
故郷の家を宅幼老所に
――中澤さんのご両親は、故郷の長野県松本市で暮らしているんですね。
はい、93歳になりますけれど、ふたりでなんとかやっています。母はC型肝炎・肝硬変末期・認知症で要介護1。父はフレイル(筋力や活動が低下している状態)気味でヨロヨロしていますけれどね。
住み慣れた家で死にたいと言ってますので、月に1度は2泊3日で介護帰省して、お医者さんや看護師さんと、ケアマネジャーと会って医療と介護を連携させながら、母の状態のチェックと、ヘルパーさんではできない家事をまとめてしています。
母の認知症がわかったとき、母のかかりつけ医と相談して、看護師とケアマネジャーを紹介してもらいました。その後、ヘルパーを入れ、デイに通い始め、自費のヘルパーも入れて、ご近所さんにも見守りをお願いし、そうした母の「支援チーム」をつくることで、月1回の遠距離介護で済んでいます。
両親は年齢が年齢なので急変もあると思いますが、13年間の友人のケアで、両親がどう弱っていくのかもいちおう想像がつきます。もちろん、母の緊急事態はしょっちゅう起こっていますが、24時間体制の看護師さんがとても優秀な人で、こまめにメールで連絡をくれるので、とても助かっています。
私もいずれ、松本に戻ることを視野に入れています。いずれ両親が亡くなったら、実家を使って私の「終の住みか」をつくろうと「妄想」しているんです(笑)。
有料老人ホーム、特養、グループホームなど、みなさんが知っているような高齢者ホームもたくさん見てきましたが、「家」のもつ「ぬくもり」はありません。しかし、住民が自分たち自身のケアを考えながら運営に参加できるような場所なら、私自身も一緒に暮らしてもいいなぁ、と思うようになりました。
松本の実家も、そんな「地域の居場所」にできたらいいですね。本当はそうしたぬくもりのある家で、しっかりした医療や介護を受けられるホームホスピスが理想ですが、スプリンクラーをつける義務があるなど、自宅を改造しなくてはなりません。
長野県では「宅老所」文化と言われるものが脈々と受け継がれています。民家を地域の居場所にして、ぬくもりのあるケアをする。認知症グループホームや小規模多機能型ホームの理念のもととなったものですが、最近では、障害児も預かる「宅幼老所」も増えてきました。
日中だけさまざまな人が集う場でもいいと思います。そうやっていろんな人に使ってもらいながら、私が死んだらこの家をあげるから、と言って、私も介護が必要になったらみてもらう(笑)。そんなふうな「実家の活用」を、遠距離介護しながら考えているところです。
自分の生き方や死に方は自分で決める
――ひとりではなく、大勢で過ごせば寂しくないですね。

中澤さんの新聞連載などをまとめた新刊『おひとりさまの介護はじめ55話』
私はひとりっ子ですから、誰かと暮らしても結局はひとりだと思ってきました。人はだれしもひとりで死ぬ、そこに幻想はありません。
自分の最期はひとりひとりが自分自身で考えるしかないのです。人間関係はミルフィーユ構造で、何層にも分かれています。だからこそ、いろんな距離感で人との関係を豊かにつくっていけるんですね。友達は多いに越したことはありませんが、お迎えが近くなったときに「あとはよろしくね」と託せる人が、少なくともひとりいればラッキー!! と、私は思っています。
生きているといろんなことを学ばせてもらいます。私はずっと父親との関係が悪かったのですが、母が認知症になって、一緒にケアをするうちに、父とはなんだか戦友のようになりました。かつては、「父親の面倒なんて、絶対にみない!」と思っていましたが、このままでいくとみちゃいそうです(笑)。
自分はどう生きればいいか、どう死にたいのかなんてことは、実際にはその都度考えていくしかありません。ただ、考えるための情報や知識、選択肢はもっていたほうがいいですね。私はずっとおひとりさまで来ましたが、これからも「ずっとおひとりさまで」と決めているわけでもないんです。歳を取って、男性でも女性でもだれかと一緒に暮らす楽しみを見つけられるかもしれない。
ひとりもいいけど、だれかと一緒もいい、私は20代のころからずっと思ってきましたし、人はそのときどきで変わっていきます。ふたりの認知症の人を介護しながら、それをつくづく感じさせられました。でも、そうしたことが人生の楽しみでもあるんですね。
<今回のまとめ>
中澤さんが考える「終の住みか」は
・集って暮らすことになっても、自分らしさをしっかり保てる住まい
・選択はさまざま。気の合った人が集って住むグループリビング、住みたい人が資金を出し合って運営するコーポラティブハウス形式、さらに、高齢者と若者が一緒に住むシェアハウスも、つくり方によっては楽しく住める
・おひとりさまは、死後の始末をしてくれる人を確保する
<三輪 泉(ライター・社会福祉士)>
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→中澤まゆみさん著書『おひとりさまの終の住みか』の書籍紹介はこちら
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