認知症の友人の後見人をしたことをきっかけに、医療や介護、高齢者問題をテーマにすることが多くなったノンフィクションライターの中澤さん。地元の世田谷区では、認知症カフェや介護の講演・講習会、フォーラムなどを開き、ケアをテーマにした地域のコミュニティづくりをしています。地域でつながることがなぜ大事なのか。今回は「地域」、そして「人」について語っていただきます。
*このインタビューの1回目、2回目、3回目、4回目(最終回)はこちら
○●○ プロフィール ○●○
中澤 まゆみ(なかざわ・まゆみ)さん ノンフィクションライター
1949年長野県生まれ。雑誌編集者を経てライターに。人物インタビュー、ルポルタージュを書く間に、友人女性の介護を引き受け、後見もすることになった。以後、医療、介護、福祉、高齢者問題にテーマを移し、『おひとりさまの「法律」』『男おひとりさま術』(ともに法研)、『おひとりさまの終活』(三省堂)など、ひとり暮らしの老後について著作を深める。その後、『おひとりさまでも最期まで在宅』『おひとりさまの終の住みか』を出版。近著は『おひとりさまの介護はじめ55話(親と自分の在宅ケア・終活10か条)』(いずれも築地書館)。在住している世田谷区ではコミュニティカフェなどを開催。全国で講演を行う。現在、友人と母、ふたりの認知症の人を介護中。
中澤まゆみさんのFacebook
地域で「ケア」のネットワークをつくるには
――中澤さんは、地元の世田谷区で「せたカフェ」というケアのコミュニティを開催していますね。

中澤さんが世田谷区で開催している「ケアコミュニティ・せたカフェ」のHP
私の住む世田谷区は、90万人もの住民がいます。ひとつの県ほどの人口です。NPOが520あり、住民団体も入れると2000以上が活動しているといわれています。でも、福祉・介護の団体も含め、活動している人たちがほとんどつながっていません。
これって、もったいないじゃない? ということで、「ケア」でつながるネットワークのハブをつくろうと思いました。それが「ケアコミュニティ せたカフェ」です。
介護は家族の力だけでは難しいし、公的なサービスもこれからだんだんやせ細っていきます。そうなったときに、地域での人のつながりが大事になります。「最期まで暮らせるまち」、「認知症になっても安心して暮らせるまち」をどうしたらつくれるか。それは、まちで暮らす人たちが知り合う「場」をつくることから始まるのではないかと思ったんですね。
私は2008年から、介護家族や住民の視点で、「どうしたら住み慣れた場所で最期まで暮らすことができるのか」をテーマに、シンポジウムや学習会、地域への出前講座などを、仲間と一緒に開いてきました。その中で学んだことのひとつが、介護する家族や、要介護予備軍である私たち自身が学ばなければならない、ということです。

左:「認知症カフェ」は、奇数月の第2日曜に開催 右:「介護家族のための実践介護講座」の開催は偶数月。この日のテーマは“おむつ”
情報や知識がないと、必要な制度を使うことも、判断することもなかなかできません。「せたカフェ」には、実際に介護中の家族や介護家族会の主宰者、介護の専門職が集まっています。だから、「認知症カフェ」や「実践介護講座」など、さまざまな講座やイベントを開きながら、地域の現状を把握し、どうしたらケアのまちづくりができるのかを、みんなで一緒に考えていきたいと思っています。

「もちよりカフェ」もちよるものは「食べ物」と「妄想」です
毎月第4金曜日の夜には、「もちよりカフェ」という会を開いています。これは気軽な飲み会で、介護や医療の専門職や介護家族はもちろん、地域の住民、会社員、リタイアしたおじさんたちなどが食べ物を持ち寄って、テーブルを囲みながらワイワイ語り合います。
もちよるものは「食べ物」と「妄想」というわけで、ここでの出会いや会話から、いろんな「妄想」が実現してきました。その「妄想」のひとつが「認知症カフェ」で「介護家族のための実践介護教室」です。
こうした活動からネットワークが広がり、自宅を開放して「地域の居場所」をつくっている人やサロンを開いている人、グリーフケアという身内が亡くなった人の心を支える会、防災カフェをやっている人たち、地域をつなぐNPO、介護事業者のネットワークなどがつながってきました。
いま、世田谷には25の認知症カフェがありますが、そのうちの5つは、この「せたカフェ」ネットワークの中からでてきたものです。また、「子ども食堂」も10か所を超えましたが、そのうちの1か所は、せたカフェのメンバーが運営しています。これまで介護職だけでやっていた研修会に、住民や介護家族が参加できるようになったのも、このつながりのおかげです。
福祉や介護の施策を決めているのは常に自治体で、住民はいつも「してください」と頼む側でした。しかし、これからはもっと、自分たちから発信していくことが大切です。ネットワークが広がってきたことで、住民から世田谷区に提言していこうという「世田谷の福祉をとことん語ろう」という区長を巻き込んだフォーラムも立ち上がり、この夏に5回目を計画しています。
世田谷では、1970年代から住民が自ら動き始めました。プレイパークという地域と子どもたちが自主運営する遊び場をつくりましたし、さまざまな人が参加する「雑居まつり」も始まりました。自宅や空き家を地域に開放する「地域共生の家」の活動は今も続いていますし、地域の福祉と食の安全を掲げる生活クラブ生協の活動も世田谷から始まりました。
世田谷にはそうした「人という財産」があります。でも、これまでつながってこなかったものをつなぎ、ケアのまちづくりを住民から発信していこう、という動きが、最近、また盛んになってきています。その一旦を「せたカフェ」が担えれば、と。
人がつながってくると、「えっ、ここでこんなことが?」とびっくりするようなことが、世代を超えて見つかってきます。そこがまたネットワークされてくれば、おもしろい展開ができるのではないか、と期待しています。
「家」と思える住みかと、よい「人」がいることが大事
――やはり、住み慣れた地域の自宅で暮らすのが一番と思っていますか?
そうですね。「できれば最期まで自宅で」と思っている人は、データで見ても6割以上います。でも、「実際には難しいだろう」と思っている人も多く、介護が必要になったら、自宅以外の高齢者ホームや施設に住み替えをすることになる人は少なくありません。
たとえ住み替えをすることになったとしても、それまでの生活を続けられる、自分の家のようなところに住みたいと思う人は多いんじゃないですか?
アパートだろうと、有料老人ホームだろうと、サービス付き高齢者向け住宅だろうと、「自宅」にするのは、その気になれば難しいことではありません。それができるところを選べばいいんですから。介護が必要になったとたん、自分らしくない空間で暮らすことになるなんて、嫌ですよね。
――お金のあるなしで、どんな家に住むかの選択肢が変わってくるでしょうか?
高級な有料老人ホームは入居費も生活にかかるお金もたくさん必要です。しかし、お金がなかったらないなりに、知恵を使いましょう。人の心はお金では買えません。人とのつながりを大事にして、自分たちらしいケアと人生を実践していけばいいのではないでしょうか。
結局、どんなに高級な建物よりも「人」です。だからこそ、よりよいケアをしてくれる人を選び、よりよい人のつながりを持てるように、元気なうちから考えておきたい。そして、地域を大事にしていきたいですよね。
<今回のまとめ>
中澤さんが考える「ケアを受けるよりよい環境」は
・地域とのつながりがあり、人のつながりがあること
・本人の生活が、できるだけ変わらないこと。有料老人ホーム、サ高住など住居の形はさまざまでも、そこを「自分の住まい」と思えること
・ケアする「人」が、ケアの意味を知っていること
最終回の次回は、中澤さんご自身が住みたい場所、看取られたい場所をお伝えします。
<三輪 泉(ライター・社会福祉士)>
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→中澤まゆみさん著書『おひとりさまの終の住みか』の書籍紹介はこちら
現在老人ホームや高齢者向け住宅を検討中の方は、こちらのページも、ぜひ参考にしてみてください。
●本人と家族にぴったりの老人ホームを探すには→ 老人ホームの「見つけ方・選び方」
