キュートな顔立ちのモデルとして一世を風靡し、その後はタレントとしても大活躍の秋川リサさん。ふたりのお子さんも成人し、ほっとしたところで、同居のお母様が認知症を発症しました。デイサービス、ショートステイ、有料老人ホームや特別養護老人ホーム(特養)の利用と、介護サービスを使って乗り切ってきた秋川さんに、「良い介護とは」「良いホームとは」の問いを投げかけました。ていねいに、熱く語るインタビューを、4回に分けてお楽しみください。
*このインタビューの1回目、2回目、3回目、4回目(最終回)はこちら
○●○ プロフィール ○●○
秋川 リサ(あきかわ・りさ)さん モデル・タレント・ビーズ手芸家
1952年、東京都生まれ。68年に資生堂のサマーキャンペーンのCMでモデルデビュー。テイジンの専属モデル、雑誌『anan』の表紙、数々のCMなどでトップモデルとして活躍。以後、テレビドラマ、バラエティ、映画などタレントとしても活動。2001年にビーズアート教室を開設し、全国各地でビーズ刺繍の普及をする。著書に『秋川リサの子育てはいつだって現在進行形』(鎌倉書房)、『秋川リサのビーズワーク』(日本ヴォーグ社)、そして母親の介護をつづった『母の日記』(NOVA出版)など。
無銭飲食、通販でのバク買い……そして見つけた母の日記
――お母様の介護が必要になったのはいつ頃ですか?

お母様の介護について書き綴った秋川さんの著書『母の日記』
7年前、母が82歳のときです。母は毎年6月から10月まで、河口湖の別荘で過ごすのですが、その年は突然、血相を変えて東京の家に戻って来て、「通帳がない!」と部屋中さがすんです。「そんなの知らないわ」と私は仕事に出て行ったのですが、帰ってくるともう部屋はぐちゃぐちゃ。翌日、今度は「大変! 部屋が荒らされてる! 泥棒が入ったのかしら。通帳がないんだもの」と。しかも、「こんなに探してないんだから、あんたが盗ったんじゃないの?」と言うんです。
めちゃくちゃ腹が立ちました。母は、高校生からモデルとして働いていた私の給料を“娘が働いたお金を管理する”という名目で一手に握り、それを使い込んでしまった人です。どっちが盗ったのよ! と言いたくなりながら、ふと頭をよぎりました、「あれ、これが認知症?」って。
その後まもなく、無銭飲食もするようになってしまいました。我が家は商店街の中にあるのですが、お財布を持たずに近辺を歩いては飲食店で食事をし、お金を払う段階になって困る、ということが繰り返されて。あわてて近隣の方々に事情をお話し、そのようなことがあれば、私に伝えてもらうようにお願いしました。商店街の方々とはいいお付き合いをさせていただいていたので、みなさん温かく対処してくださいましたが……。大変なことになったな、と思いました。
――芸能界のお仕事をしながら、認知症のお母様の介護をするのは、大変ですよね。自宅介護のときはデイサービスなどに行っていましたか?
週に3回はデイサービスに通っていました。でも、その他の日は、私と娘が交代で様子を見るしかなかったんですよね。娘も20歳を過ぎて、もう仕事をしていましたので、ちょっと困りました。
母がひとりで過ごすときには、2000円を財布に入れていたのですが、すぐに使ってしまうし、何に使ったのかも忘れてしまうんです。あとでわかったのですが、河口湖までのバスのチケットが1700円で、チケットを買ってはポケットやバッグに突っ込んでいたみたいで。また、これとは別に、知らない間にいろんなものを通販で買っていました。同じものを6回も買っていたりするんです。これじゃ、いくらお金があっても足りないですよね。
もう少し元気だった頃は、母が家のことをやって、私が仕事をする、という役割分担になっていました。私の通帳も母に預けていたんです。でも、通販での買い物が異常にすごい、とわかってあわてて通帳を見たら、私のお金がほとんどなくなっていました。ショックでしたね。
その後、母のショートステイ用の着替えを用意するために、母のクローゼットを開けたんです。そこで偶然、母の日記を見てしまったのです。そうしたら、私に対する罵詈雑言が……。「娘なんか産まなきゃよかった。生活の面倒をみてるからって偉そうに」とまで書いてあって。ここまで介護で苦労しているのに……。本当に苦しかったですね……。
デイサービスで「教える」ことに張り合いがうまれて
――デイサービスに助けられた部分はありましたか?

秋川さんのお母様と、よく散歩を共にしていた愛犬チェリー。秋川さんやご家族の介護を支えていた
ええ、もちろん。最初は母はすごくいやがっていたんです。けれど、娘やケアマネジャーさんが上手に誘導してくれて、要介護1のときは、週に3回はデイサービスに通っていました。プライドが高い人だったので、「みんなに何か教えてあげて」と誘ったら、「そうね、教えてあげに行くわ」って(笑)。楽しんで行っていましたよ。介護職の方や利用者さんが、みんな親切で、個性的な母をやさしく受け止めてくれて、ありがたかったですね。要介護3になってからは、月曜日から金曜日までお世話になりました。
デイサービスに行っている間は、本当に安心でした。でも、途中で脱走してしまったり、お迎えの車が来る前に、自分で歩いて向かってしまったり。道を覚えているわけでもないので、デイサービスの方もものすごく心配して、仕事場にいる私に電話をかけてくださったりして……。ずいぶんとご迷惑をおかけしました。週5でデイサービスに通っていたとはいえ、だんだんと自宅介護は難しくなっていきました。
<今回のまとめ>
秋川さんが考える「認知症介護の大変さ」とは
・物忘れが激しくなり、「お金を盗んだ」と身に覚えのないことで非難されることがある
・無銭飲食や、本人に覚えのない買い物など、常に金銭問題がある
・徘徊やデイサービスからの脱走など、本人の居所がわからなくなることが度々ある
次回は、老人ホームを見つけた時のエピソードをもとに、ホーム選びについて伺います。
<三輪 泉(ライター・社会福祉士)>
*このインタビューの1回目、2回目、3回目、4回目(最終回)はこちら
*秋川リサさんの著書『母の日記』を、書籍紹介記事で詳しくご紹介しています。
現在老人ホームや高齢者向け住宅を検討中の方は、こちらのページも、ぜひ参考にしてみてください。
●本人と家族にぴったりの老人ホームを探すには→ 老人ホームの「見つけ方・選び方」
