特集:介護維新最前線へ!
日々進化を遂げる介護業界だが、その進化の裏には、革命を呼び起こすきっかけとなる人物の存在がある。そこで介護マガジン編集部ではそうした「介護維新」を起こした人物、またはこれから起こすであろう人物に迫り、彼らを取り巻く現状、そこで実際に行われている事柄などを紹介していきます。
残った疑問。なぜ“消えた”ように見えるのか?

- 抜刀術を披露する甲野さん。膝がぶつかる至近距離での技に参加者の目が釘付けになる
こうして、瞬く間に、という言葉そのままに、約二時間の古武術講習は終了、となったのですが、新しい身体の感覚に触れることができたうれしい驚きとともにわたしたちの胸に残ったのは、どうして甲野さんはあんな動きができるのだろう?……という、素朴で強烈な疑問(というより、好奇心といった方が正確かもしれません)です。
わたしたちにも、甲野さんの動きは優れたスポーツ選手が見せる高度なワザとは違うようだ、とはわかるのです。というのは、スポーツ選手の動きはどんなに高度なものであっても、目で動きを追うことができます。そして、わたしたちはその類い稀な動きの速さや大きさ、巧みさに感嘆したり、感動したりするわけですが—ところが。甲野さんの場合—たとえば、目の前で振り下ろされる刀を瞬時にかわす、太刀奪り(たちどり)という技を例にとると、目の前にいたはずなのに、 次の瞬間には別の場所にいる、そんな印象の動きなのです。まるで瞬間移動したかのように、途中の動きを目で追うことができないのです。一瞬“消えた”ように見える—-それは不思議な感覚です。
甲野さんが遭遇した“神技”体験が物語ること

- 太刀奪り。刀が振り下ろされた時にはすでに身体の移動が完了している
実は、甲野さん自身、過去にわたしたちと同じような驚きを体験したことがあるといいます。ある中国武術の講習が行われたあとの懇親会の席上で、その武術の練達の老師と呼ばれる方が演武を披露したときのこと。緩やかな、舞うような演武が始まった次の瞬間、その老師の姿を甲野さんは見失ってしまったというのです—–四メートルほどの距離から、十分な興味と注意をもって見ていたにも関わらず、です。
その時の“感動”を、甲野さんは著書の中でこう記しています。
<「驚いた」などという程度の表現では表しきれないほど驚きました。そして次の瞬間、驚きは感嘆となったのです。>(『武道から武術へ』より)

- 緊張感みなぎる剣術の稽古風景
驚きが感嘆になった、というのは、一瞬、目の前で砂嵐が起きたかのように、あるいは自ら身体を飛び散らせて“自爆”したのでは、と思わせるように“消えた”老師の姿が、今度は元の位置から二メートルほど離れたところに前がかりの姿勢で忽然と“現れた”からです。甲野さんほどの武術家をして神技と思わせたこの老師の動き—興味の尽きないエピソードですが、その後さまざまな検討を経た甲野さんは、ひとつの理解に至ります。
老師はこのとき身体のより多くの部位を同時並列的に動かしたのだろう、と。
「目は、蹴ってから飛ぶというような力が順に流れていく動きを追うことはできますが、同時並列的に動くものを一瞬でつかまえ、それをひとつの統合された全体像として把握することは難しいのです。それで、老師の姿が消えたように見えたのだと思います」
(次回へ続く)
<取材・構成・文 佐藤大成>
プロフィール
甲野善紀(こうの よしのり)
1949年、東京生まれ。 西欧文化の影響を受ける以前の古武術の探求を続ける独立独歩の武術研究家。近代科学の常識ではとらえきれないその独自の身体観と身体操作術は、他分野の専門家からも大きな注目を集めている。78年に設立した松聲館道場は、現在は書斎兼個人的研究稽古や取材を受ける折に使われており、講習会、講演、執筆活動など多岐にわたる活動は、ウエブサイト松聲館www.shouseikan.comで告知している。『剣の精神誌』(ノマド叢書)『武道から武術へ』(学研)など武術をテーマにした著書の他、『自分の頭と身体で考える』(解剖学者の養老孟司氏との対談)『薄氷の踏み方』(精神科医の名越康文氏との対談)(以上PHP研究所)など異分野の”達人”たちとの共著も数多い。