特集:介護維新最前線へ!
日々進化を遂げる介護業界だが、その進化の裏には、革命を呼び起こすきっかけとなる人物の存在がある。そこで介護マガジン編集部ではそうした「介護維新」を起こした人物、またはこれから起こすであろう人物に迫り、彼らを取り巻く現状、そこで実際に行われている事柄などを紹介していきます。
介護の世界に生まれた”新しいつながりの発見”
新しい料理を生み出すには—と、ある練達のフランス料理人が語っています。
酸素と水素が結合して水ができるように、あるものとあるもののつながりを、新しく発見する必要があるのです、と。
ここ十年ほどの間に、小さな波紋が静かな反響へとつながり、介護関係者にとどまらず広く関心を集めるほどに成長してきた新しい介護の技術—「古武術介護」。本サイトの<読む介護>欄でもこの技術の実践と普及に取り組んでいる岡田慎一郎さんの著書を紹介していますが、古武術と介護という、料理の素材にたとえていえば別々の畑で育った異なる野菜の出会いから生まれたこの技術も、いってみれば介護の世界に誕生した”新しい料理”と呼べるものかもしれません。
強い筋力がなくとも、楽に介助ができる方法を提案する「古武術介護」という技術。この”新しい料理”を生み出した”名料理人”が、 岡田慎一郎さんの師匠と呼ぶべき存在でもある武術研究家、甲野善紀さんです。
古武術が持つ”共振力”が介護の世界と出会って
甲野さんは20代の頃から武術、武道の世界に学び、1978年に自身の道場である松聲館を設立、古くから日本にありながら半ば置き忘れたようになっていた古武術の本質を探求してきました。「人間にとっての自然」を自らの身体感覚を通して追求しようと武の道を志したといいます。その成果の一端が広く知られる契機となったのは、解剖学者、養老孟司さんとの対談『古武術の発見』(1993年刊)でしょう。この対談を通して、身体の動かし方というのは実はひとつではないこと、わたしたちが現代の生活の中で獲得した常識を超える力を身体は持っていることを知った方は多いのではないでしょうか。
実際、甲野さんの技は、はじめて目にする人には不思議な動き方だなあと映るかもしれません。 たとえば、のど元に突きつけられた白刃を一瞬のうちにかわしてしまう身の動きは、いわゆる素早い身のこなしとは違って見えます。印象でいえば、一瞬身体が消え、再び現れるような感じです。甲野さんよりはるかに大柄なスポーツ選手を苦もなく(そう見えるのです)持ち上げてしまう動きでは、筋肉をめいっぱい使っているようには見えません。身体を素早くひねる、強い筋力を作用させる、といった常識的な身体の使い方からは説明できないような技が目の前で展開されるのです。
こうした甲野さんの技と古武術の実践を通して得た身体観は、武術というフィールドを超えて、他のさまざまな分野で活躍する専門家の関心を呼び起こしました。 スポーツ、音楽、医療、そして、介護の世界との遭遇—
「2000年のことだったと思いますが、神奈川リハビリテーション病院で開いたセミナーの中で、ある理学療法士さんからこんな質問をいただいたのです。ベッドに寝ている人を起こす良い方法はないでしょうか、と。はじめての経験でしたが、その場で方法を考え対応しました。これが介護の世界と関わったはじまりだと思います」(甲野さん)
その後、前出の岡田さんとの出会いによって、甲野さんの古武術的世界は介護の世界により深く関与し、「古武術介護」の技術をいっそう進化させていく原動力になるのですが、それにしても、甲野さんの古武術的世界が持つ他の世界との”共振力”には驚かされます。冒頭の名シェフのことばを借りれば、新しいつながりの発見から新しい料理を生み出す力に満ちているのです。
その理由のひとつは、甲野さんが「優れた武術研究家」であると同時に「優れた身体技術の探究家」であるからかもしれない—そんな思いを胸に、介護マガジン編集部が向かった先は……(次回へ続く)
<取材・構成・文 佐藤大成>
プロフィール
甲野善紀(こうの よしのり)
1949年、東京生まれ。 西欧文化の影響を受ける以前の古武術の探求を続ける独立独歩の武術研究家。近代科学の常識ではとらえきれないその独自の身体観と身体操作術は、他分野の専門家からも大きな注目を集めている。78年に設立した松聲館道場は、現在は書斎兼個人的研究稽古や取材を受ける折に使われており、講習会、講演、執筆活動など多岐にわたる活動は、ウエブサイト松聲館www.shouseikan.comで告知している。『剣の精神誌』(ノマド叢書)『武道から武術へ』(学研)など武術をテーマにした著書の他、『自分の頭と身体で考える』(解剖学者の養老孟司氏との対談)『薄氷の踏み方』(精神科医の名越康文氏との対談)(以上PHP研究所)など異分野の”達人”たちとの共著も数多い。