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看取りは在宅?病院? 本人も家族も悔いのない最期を迎えるために

2016年5月26日

 

在宅死は、過去最低だった約12%から徐々に増加しつつある

あなたは人生の最期をどこで迎えたいでしょうか。
1951年、自宅で最期を迎える人は8割を超えていました。しかし、それが徐々に減り始め、1974年には半数を切ります。代わって増えたのは病院での死(病院死)です。また、日本はこの年、ひとりの女性が一生に産む子どもの平均数である、合計特殊出生率が2.05となり、翌年から少子化に転じることとなりました。

 

*厚生労働省「人口動態調査」 2014年のデータより筆者が作成

*厚生労働省「人口動態調査」 2014年のデータより筆者が作成

 

病院死が在宅死を逆転したのは1977年。プロ野球で王貞治選手がホームラン世界記録の756本を達成し、日本赤軍によるダッカ日航機ハイジャック事件が起きた年です。団塊の世代が「ニューファミリー」と呼ばれ、夫婦と子どもからなる「核家族」が全世帯に占める割合が、ピークを過ぎたのもこの頃でした。日本の家庭が、自宅で最期を看取る力を失っていった時期とも言えます。

 

1980年代に入ると、「おしん」が最高視聴率62.9%を達成する一方、女性向けの転職情報誌『とらばーゆ』が創刊され、「金妻」ブームが起こり、男女雇用機会均等法が施行に。まさに女性の時代。女性の社会進出が進みます。その後、日本はバブル時代に突入していきます。

 

この時期、「死を迎える場所は自宅ではなく病院」という認識が急速に広まります。一方で1990年には、外科医である山崎章郎氏が『病院で死ぬということ』を出版しました。病院は死を迎えるのにふさわしい場所か、という問いかけを発したこの本はベストセラーになります。それでも病院死は増え続け、在宅死は2005、6年に12.2%まで減少しました。

 

しかし、在宅死の減少はここで底を打ちました。「できるだけ長く在宅で」という国の方針も後押しして、今は少しずつ増加に転じています。在宅医に転じた前出の山崎章郎医師をはじめとした在宅医療や訪問看護などの在宅サービスも、「家で逝きたい」という人の思いを支えています(*1)。

 

一人暮らしの在宅死は、家族が抵抗勢力に?

image003本人が自宅で最期を迎えたいと考えても、実現には様々なハードルがあります。看取ってくれる家族がいるか。家族が同意して支えてくれるか。自宅の環境は整っているか。支えてくれる在宅介護サービス、在宅医療はあるか。経済的には対応できるのか。考えていくと不安ばかりが膨らんでしまいそうです。

 

しかし、「一人暮らしであっても、自宅で最期を迎えることはできる」。そう、看取りの経験が豊富なケアマネジャーは言います。

 

「最後まで自宅にいられればいい。タイミングが悪く、命が尽きるその瞬間を誰かに看取られることがなくてもかまわない」。
そんな覚悟があれば、むしろ一人暮らしの方が、本人の気持ちに添う対応だけを心がければいいので、支援する側はやりやすいというのです。

 

在宅での看取りに詳しい社会学者の上野千鶴子氏は、本人が望んだ一人暮らしでの看取りを“在宅ひとり死”と呼び、「本人が『在宅ひとり死』を望んでも、それを阻む“抵抗勢力”がいます。それは多くの場合、別居家族です」という厳しい表現をしています(*2)。
離れているだけに、様々な不安がある。だから、できるだけ安全に安心に過ごしていてほしい。家族がそう考えるのは、その人を大切に思えばこそ。しかし、たとえそうであっても、それが時として、本人の願いの実現にストップをかけてしまうというのです。

 

「死」は誰のものか

image005ここで焦点になるのは、「死」は誰のものかということです。もし死が、死にゆく本人のものであるならば、どのような最期を選ぶかは本人が決めるべきでしょう。反対に、家族など周囲のものならば、周囲が納得できる死を選択すべきです。

 

しかしおそらく、そのどちらでもない。死は、死にゆく人、そして、それを見送る人双方のものなのです。そのどちらもが納得できる最期を選択することが、「幸せな死」ではないでしょうか。

 

どうしても、一人暮らしの自宅で最期を迎えたい。本人はそう考えている。
しかし家族は、万一、誰も付き添えない時に、大切な親がたった1人でこの世を去ってしまうなど考えたくもない。だから、病院か施設にいてほしいと思う。
これは、どちらがいい、悪いではありません。

 

ただ、施設でも病院でも、常に誰かがそばにいるというわけではありません。「亡くなったとき誰もそばにいなかった」という事態は、施設でも病院でも起こりうることです。一人暮らしの自宅での最期との違いは、亡くなったことに気づくのが早いか遅いか。発見の早さと、本人の自宅にいたいという思いを天秤にかけると、どちらが重いでしょうか。

 

反対に、「どうしても一人で逝かせたくない」という強い思いを持つ家族の気持ちを、死にゆく人が顧みなかったとしたら? その人が亡くなったあと、遺されたその家族はずっと大きな傷を抱えて生きていくことになるかもしれません。それでも、死にゆく自分の願いを叶えたいのか。これも、十分考える必要があります。

 

人の死は人生でたった一度だけの大きな出来事。とても大切なことでありながら、なかなか面と向かって当人とその迎え方を話し合うのは難しいものです。しかし、見送ったあと、もっとこうすればよかったと、後悔は残したくないですよね。本人も家族も悔いが残らないよう、機会を作り、早くから話し合っておきたいものです。

 

<文:宮下公美子 (社会福祉士・介護福祉ライター)>

*1 「家で逝きたい」を支える 訪問看護、家族に寄り添う(日本経済新聞 2016年4月25日)

*2 『月刊ケアマネジャー』2015年4月号巻頭インタビューより

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兄弟。親戚は普段疎遠なので、いざ!の時は全く頼りにならない。79才の自分は配偶者の難病の介護ですが、現在在宅医療を受けています。主治医に最期の場所はと、聞くと自宅が一番だと言われましたが、其の時に遭遇する場面を思い浮かべると、自分一人で平然と看取りは出来ないでしょう。
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