「グリーフケア」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。大切な人やものを失った人に寄り添って、悲しみや喪失感を乗り越えていくのをサポートすることをいいます。悲しみや喪失感を覚えるのは、大切な人を亡くしたときだけではありません。定年退職などで打ち込んできた仕事を失ったとき。転勤などで住み慣れた土地を離れたとき。大切に育てた子どもが独立したとき。そんなときも、悲嘆(グリーフ)が起こることがあります。
死別で言うと、近年は、病院ではなく、施設や在宅で亡くなる人が少しずつふえています(詳しくはこちら)。看取りの場が、医療現場から介護の場へと変わりつつあるのです。しかし、介護現場では、家族を亡くした遺族に対するグリーフケアは、十分に行われているとは言えません。グリーフケアの内容について知っている介護職員が約1/4にとどまり、まだ知識が十分ではないからです(*)。
なぜグリーフケアが必要か
グリーフケアはなぜ必要なのでしょうか。
人は大切な人、ものを失ったとき、悲しみ、怒り、孤独、不安など、様々な感情がわき起こります。失った人やものが大切であればあるほど、心は大きく揺れ動きます。大きく動く自分の感情に戸惑い、混乱してしまうこともあります。人によっては、感情の大きな動きに振り回されたくないと思ったり、自分は悲しんでなどいないと否認したりして、そのときの感情を押し殺してしまうこともあります。
また、心が揺さぶられることで、身体に反応が出ることもあります。眠れない。食欲がない。ひどく疲れる。頭痛がする。涙が止まらない…。身体の反応は様々な形で現れます。
グリーフケアでは、その人がそのときに感じている気持ちや身体の反応を、自分自身で否定せずに認め、解放していけるよう支援します。自分ひとりでは、大きな感情の動きに振り回されそうでも、適切な支援者と一緒に自分の感情と向き合うことで、上手にコントロールしながら解放していくことができます。
反対に、自分の感情と向き合わずに感情を押し殺してしまったらどうでしょうか。頭痛など、前述の身体に出る反応は、感情を無理に抑え込んでしまったときに出ることもあります。感情を無理に押し込めることがストレスとなり、身体の症状として現れるのです。
ありのままに気持ちを認めること
親や配偶者、義理の親など、身近な親族の看取りにおいては、それまでの関係性があらわになりがちです。長く不仲であった場合など、看取りの段階に入っても世話をすることはおろか、会いに行くことにも抵抗があるという場合もあるでしょう。しかし、もう関係は断ち切ったと考えていたとしても、親などごく身近な親族を、会いに行くこともなく見送るのはできれば避けたいものです。
どれほど許せない相手でも、最後に顔を見ることで、自分の気持ちに区切りを付けやすくなります。会いに行かず、関係を断ち切ったままでは、中途半端な思いがいつまでも自分の中に残ります。それは、心のどこかでいつまでもチクリと痛む傷になる場合もあります。
それでも、会いに行けないまま見送ったとき。適切なグリーフケアを受けて、自分の本心と向き合い、その思いを解放してほしいと思います。怒り。悲しみ。寂しさ。どんな思いであれ、自分にそうした感情があるのを否定しないこと。泡だった心も、ありのままの気持ちを認めることで、少しずつ落ち着きを取り戻していけることでしょう。
しかし前述の通り、まだ介護の現場ではグリーフケアの認知度が高くありません。担当の職員から十分なグリーフケアを受けることができない場合もあることでしょう。そんなときは、自分の話を否定せずに耳を傾けてくれる友人にただ話を聞いてもらうだけでも、気持ちが整理できることがあります。また、カウンセリング機関などを利用するのも一つの方法です。
避けたいのは、亡くなった方に対する思いに温度差がある親族同士でその方の死について、深く語り合うこと。どちらかが相手の介護の方法や本人への接し方などへの不満を抱えていた場合、話しているうちに、一気に怒りの感情が吹き出してしまうこともあります。
関係の良かった大切な人を失ったとき。難しい関係だった身近な人を失ったとき。どちらの場合も適切なグリーフケアを受け、気持ちを整えていけるといいですね。
<文:宮下公美子 (社会福祉士・介護福祉ライター)>
*グリーフケア 「知らない」75% 介護現場で認知度低く(毎日新聞 2016年5月11日)