なぜ「綾戸智恵」は倒れてしまったのか?

■書名:綾戸智恵 介護を学ぶ
■著者:一志治夫
■出版社:講談社
■出版年:2010年12月
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介護を学ぶことで介護を続ける力が生まれる。母と娘の新しい関係へ向かって
魂に語りかけるような深さで響いてくるピアノとハスキーなボイス。そして、人柄そのままの笑顔と笑いを誘うユーモアにあふれたトーク——ジャズファンを超えた多くの方々から愛されているミュージシャン、綾戸知恵さん。彼女が突然倒れ、入院したというニュースが流れたのは、2010年3月のこと。綾戸さんとは取材を通じて知り合い、10年来の知己として個人的な事情についても話をする間柄にあったという本書の著者、一志さんは、その知らせを受けたときの動揺する気持ちを冒頭でこう記している。
<自殺未遂••••••?
介護だけが原因なのか?
いったい、何が綾戸の身に起きたのか?>
幸いなことに自殺未遂ではなく、原因は苛立ちを抑えようと精神安定剤をいつもより多めに摂ったことによるもので、3日間入院した後は順調に回復した綾戸さんだったが、薬の適量を忘れさせるほどの「苛立つ気持ち」がなぜ生まれたのか? そのとき、綾戸智恵さんは認知症を患う母親の介護をその責任感の強さからひとりで背負いつつ、同時に、介護のため一時中断していた音楽家としての活動を再開し、八面六臂の多忙の最中にあったという。
<介護だけならとれていた睡眠が、仕事によって蝕まれ••••••ついに綾戸は限界に達してしまった。••••••テレビやコンサートで見かける元気いっぱいの綾戸智恵からは想像しづらいが、長い介護生活で必然的に起きた事件だった。>
あれほど元気に見えた綾戸智恵さんがなぜ倒れたのか——当時、驚かれた方も多かったに違いないが、その背景には、やはり母娘で抱え込んだ「介護の日々」が大きく影響していたのである。
本書はノンフィクションとしては珍しい構成になっており、前半はいま触れた突然の入院事件を入り口に、綾戸智恵•ユヅルの二人が紡いできた「母と子の物語」が一志さんの言葉で語られ、後半には、母親の認知症について深く理解をしたいと望んだ綾戸智恵さんが医療分野の専門家たちと交わした3つの対話が収められている。
認知症への認識を深めた綾戸智恵さんが元気になっていく様子を目の当たりにした一志さんはこう書いている。
<綾戸は倒れたことで自分の限界を知った。専門家との対談を通して、ユヅルの認知症の正体を知った。知ったことで綾戸は、驚くほど元気になっていった。この後に掲載される綾戸と専門家の対談が、同じように介護に追いつめられている人々の何らかの一助になれば、と思う。>
介護のあり方は、家族がそれぞれ違うように、ひとつとして同じことはない、といわれるが、現実を引き受ける中で生じてくるさまざまな思いと、それを表現する言葉には個々の違いを超えて響き合う何かがあるはず——自分の介護体験を執筆するよう一志さん依頼したという綾戸さんには、そんな気持ちがあったのかもしれない。良い音楽が持つ力と同じように、人と人が響き合う力を共有したいという思いを——
<人間、笑ってばかりとはいかんかもしれん。でも、よく笑って、楽しみを知ってる人間だけが、本気で泣けて、悲しみもわかるんやと思う。最近の母と私の間には、笑いが増えた。笑うと肩の力が抜けて、ストレスが消えてくれる>
苦境をのりこえ、ユヅルさんと新たな関係を築きつつある綾戸智恵さんが最近発見したこと、それは「笑い」の力だそうだ。
<佐藤>
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著者プロフィール
綾戸智恵(あやど•ちえ)さん。大阪生まれ。音楽家。ジャズクラブなどでの演奏を通じてプロ活動をはじめ、ジャズの本場アメリカでの演奏活動も経験。1998年、40歳の時に初のアルバム『For All We Know』を発表、全国的に知られるジャズの演奏家となる。味わい深いピアノと歌、飾らない人柄と琴線に触れる語りが渾然一体となったステージを心待ちにするファンは数多い。
一志治夫(いっし•はるお)さん。松本市生まれ、東京•三鷹育ち。作家。各分野で活躍する人物に取材したノンフィクションを中心に作品を発表、高い評価を得ている。著作に『たった一度のポールポジション』(デビュー作/講談社文庫)、『狂気の左サイドバック』(新潮文庫)、『小沢征爾』(小学館)など。