母子二人暮らし、自分は忙しい仕事で、家に帰るのは深夜。そんな中、母親の行動を「あれ? 最近何かおかしい」と不審に思った娘のE・Rさん。ですが、脳の病気だと決めかねて発見が遅れたといいます。
母親がデイサービスなどを拒否したため、フルタイムの仕事を退職し、自宅勤務を中心にして生活を変えていきました。介護離職とその後の生活を4回に分けてじっくりと伺います。
*この体験談の1回目、2回目、3回目、4回目(最終回)はこちら
3週間の入院後、急速に体力や気力が衰えた母
当時、外資系の証券会社に勤務していた私は、ウィークディは常に早朝出勤、深夜帰宅でした。母は私が30歳のときに離婚しました。仕事が忙しく、伴侶を見つけるタイミングを逃した娘の私とは、以来20年間、母子二人暮らし。私が世帯主で母が主婦、という位置づけで、ずっと一緒に暮らしてきました。母は80歳を過ぎてもなお元気で、家事一切をテキパキとこなしていました。
ところが、母が2009年にケガをして膝を傷めました。たいしたことがないと思いましたが、横になって休んでいる様子がつらそうなのです。心配になって、受診することにしました。すると、整形外科の待合室で待っている間に失神。動転するうち、総合病院に運ばれました。
ケガが原因で血栓ができ、それが血管に詰まって急性肺血栓塞栓症(血栓が肺に運ばれて肺の血管が詰まる病気)になったのだと。もし、待合室でなくて自宅だったら、総合病院に運ばれるまでにもっと時間がかかり、命を落としていたかもしれない。そう思うと、母はとても幸運だと、ありがたく思ったものです。
しかし、80歳を過ぎた母にとって、3週間の入院はダメージが大きく、回復には、かなり時間が必要でした。1年後には初詣に行けるほどに回復したのですが、その後、また体力や気力を失い、家に引きこもりがちになりました。
かつては几帳面でお皿洗いも掃除も私以上にていねいにしていたのに、「なんにもしたくないの」と横になってばかり。それと、きれい好きでいつも身支度をきちんとしいた母がお風呂に入りたがらなくなりました。何かおかしいなぁ、と思っていました。
けれど、仕事はあいかわらず忙しく、休みも取りにくい。平日に母を病院に連れて行って母の現状をつきとめることは難しい、と思ってしまい、その後も、見て見ぬふりをして1年ぐらい過ぎました。
物忘れ、歩行不良、尿失禁……でも検査を拒否
でも、やはり病院に連れて行かなくては、と思い直しました。母の言うことがちょっとおかしい――。
母は、ふた月に一度ぐらい、1駅離れたデパートに買い物に行きます。その習慣だけは続けていました。そして土産にと、お気に入りのお菓子を買ってくることも変わりありませんでした。しかしあるとき、「あのお菓子屋さん、なくなっちゃったのよ」とガッカリした様子で言うのです。デパートが改装でもして、そのときに撤退してしまったのかと思ったのですが……。
ふと、インターネットでそのデパートの地下売り場を調べてみると、そのお菓子のお店はまだあるのです。不審に思って日曜日に実際に行ってみても、あるのです。ふた月に1度とはいえ、何年も通い続けた売り場。わからなくなってしまったのだろうか……。
それともうひとつ、失禁するようになったのです。これはショックでした。入院して1年半ぐらいたった頃から、歩き方がたどたどしくなったな、と思っていたら、歩行が怪しくなってきたのですね。母は、うまく歩けないから部屋から出るのがめんどくさい、と言うので、最初はただ間に合わないだけかな、と思っていました。
でも、そうではない。トイレに行こうとする前に漏れているのではないか……? あわててリハビリパンツを用意すると、今度はパンツの中で尿が溜まっていても平気になってしまいました。
あんなに几帳面だった母が、濡れたパンツで平気でテレビを見ている。その姿を見るだけでも、泣きたくなる思いでした。でも、センチメンタルになっているだけではまずい。これは病気なのではないか……? もしかして、認知症……?
それを認めるのがいやで、しばらく躊躇していました。でも、意を決して、母に言いました。「最近、あまり調子よくないよね。忘れやすくなっているし、ちょっと検査をしてみない?」
言い方が悪かったのでしょう。母は言い終わらないうちに声を荒げてこう言いました。
「私は病気なんかじゃない! 病院には行かないよ。だいたいあの病院は大嫌いなんだ」
そう、たしかに入院した病院はあまり雰囲気がよくなかった。担当医師もそっけなく、看護師もあまり信頼できない感じでした。「でも、あのときとは違うよ、内科に行くのだと思うから。別の先生だよ」と言ってみても、とにかく「いやだ」の一点張り。母だって、自分がちょっと変だとわかっているのです。「もしかして認知症かもしれない」と。だからこんなに拒否をするのです。
会社の同僚に相談してみると、「仕事をしている間に、おかあさん、ひとりなんでしょ? その間に外出して、帰り道がわからなくなったり、へたをすると、ガスコンロの火をつけているのを忘れてボヤを出したり。そんなことがあってからじゃ遅いよ」と。青くなりました。
どうしよう……。その同僚が「地域包括支援センターって知ってる?」と教えてくれました。介護について、一から相談にのってくれると。私はすぐに会社に午前半休を申し出て、地域包括支援センターに足を運びました。
次回は、母親が認知症の検査を受けるまでの様子をお伝えします。
*写真はイメージです。
<三輪 泉(ライター・社会福祉士)>
*この体験談の1回目、2回目、3回目、4回目(最終回)はこちら
プロフィール
E・Rさん(女性 50歳)翻訳・通訳者
神奈川県在住。86歳の母と二人暮らし。かつては外資系証券会社で激務をこなしていた。80歳を過ぎて母に物忘れや歩行不良、失禁の症状が出て検査をしたところ、正常圧水頭症(認知症・歩行障害・尿失禁が主な症状と言われている)が発覚。治療が難しいことがわかり、断念してそのまま様子をみることに。デイサービスも訪問介護もいやがる母に手を焼く。仕事を続けていくことも難しく、退職して自宅中心に翻訳と通訳の仕事に切り替える。訪問入浴、訪問リハビリテーション、在宅診療を受け、ときどきショートステイを利用する形で自宅介護を続けて5年になる。
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