いざ介護となると、きょうだいがいても、なかなかうまく連携が取れないものです。W・Eさんの場合も同じでした。家事と介護と仕事で忙しく、金銭的にも不安の多い生活に、少しでも手を貸してほしい。ひとりで抱えるのはつらすぎる。そう思って妹に話を持ち掛けたら、かえって心が重くなる事態に。今回は、家族や親族と介護の問題をお伝えします。
*この体験談の1回目、2回目、3回目、4回目(最終回)はこちら
母がひとりで過ごすことは限界に
大学病院でアルツハイマーと診断されてから、母の状態はますます悪くなっていきました。あいかわらずお友達と約束して出かけていたのですが、うまく会えなくて、私の携帯にお友達から電話が入ることもしばしばでした。大学の講師として勤務している時間は、授業中に電話をもらっても出ることができないし、休み時間に電話を受けても、今度は母がどこにいるのか、探す時間もない。もやもやとした気持ちを抱えて学校で過ごし、仕事が終わると一目散で家に帰りました。
リビングに入ると、母がひとりでポツンとしゃがんでいる。エアコンもつけず、冬の寒いフローリングの床にぺたんと座っていることもありました。息子は大学に合格し、最初の1年は家から遠いキャンパスに通うため、下宿していました。彼に母をみてもらうこともできません。とにかく、私が早く帰るしかないのです。でも、いつも早く帰れるとは限らない。こんな生活をしていたら、いつか母はでかけたきり家に帰れなくなるのではないか? そうなったら、どうすればいいんだろう。これからどんどん寒くなり、外で過ごせないほどになってくるのにと、心配はつのります。
病院で、家の近くの地域包括支援センターの存在を教えてもらい、一度出かけました。そこでケアマネジャーさんを紹介してもらったものの、「介護保険のお世話になんかなりたくない、私はそんなにボケてないわよ!」という母に気おされて、なにもしていなかったのです。しかし、いつまでもぐずぐずしているわけにはいかないと思い、思い切ってケアマネジャーさんに連絡をしました。
さすがにプロですね。家に訪問するなり、母に上手に話しかけ、要介護認定を受けるように手配してくれました。母の要介護度は1。介護保険を使って、デイサービスや訪問介護を使えるようになりました。
妹は来訪するなり激高して介護を拒否
とはいえ、要介護1ではふんだんに介護サービスを使うわけにもいかず、デイサービスが終わったあとの時間も少し心配でした。妹にも手伝ってもらいたいと思い、妹とその旦那さんを家に呼びました。母の様子も見てほしかったのです。
その日は息子も帰っていました。明日は成人式という日で、久しぶりにみんなそろって会食ができると、母も喜んでいたのです。
玄関を入るときから、妹の顔はこわばっていました。母を見るなり、嫌悪のまなざし。華やかなことが好きで家事をしない母を、妹は好きになれずに大人になったのです。内気で友達が少なかった妹は、家にいつもひとりでいて、寂しかったのでしょうね。開口一番、「私は母にいい思い出がないのよ」と言いました。そして、いろいろと話し始めるうち、幼い頃の嫌な思い出が蘇ってきたのかもしれません。
「なんで私が母の介護をしないといけないのよ? お姉ちゃんがこの家に戻ってきたんだから、お姉ちゃんがやるのがあたりまえでしょ」と。
「でも、そうしたくてもできないのよ、仕事もしないと暮らしていけないの。家にはお金がないのよ。だから分担してほしくて」
「おねえちゃんはね」と、妹は低い声で言いました。「親戚の間じゃ、おかあさんを虐待してるって評判よ。ろくにご飯も食べさせないって。もっとちゃんとやるべきなんじゃないの?」
ショックでした。親戚は私をいたわってくれていると思っていたのに。自分なりに一生懸命にやっているつもりだったのに。
「そんなことはしてないわよ。でも……、もしそうだったとしたら、ますます助けてほしい。本当に家事と介護と仕事でつぶれそうなの。なんとかして……」
すると、妹は立ち上がり、「冗談じゃないわよ、今さら。おねえちゃんは駆け落ちみたいに結婚して、結婚がいやになったら戻ってきて、この家に居座って。私はそんなことはしなかったわよ。いつも母の言うなりだったわよ。もういやなのよ、この家と付き合うのは。母の介護なんてまっぴらだわ!」
食卓をひっくり返すような勢いに、私も妹の夫も息子もおろおろするばかりです。そして母だって傷ついたはず。母は話を聞きたくなくて、別の部屋に行ってしまいました。
ずっと黙っていた息子が言いました。「おばさん、もう帰ってよ。よくわかった。ババのことは、僕とかあさんとでやるから。何もやらなくていいから、そういうことを言うのはもうやめて」
妹とその夫は、帰って行きました。帰るなり泣き出した私をしばらく見ていて、息子も泣き出しました。「僕の成人式がこんなにひどいものになるなんて、思ってもみなかった」
そうだった、私は自分のことしか考えてなくて、久しぶりに帰ってきた息子の気持ちも考えなかった。自分を恥ずかしく思い、息子に「ごめんね、ごめんね」とあやまり、またふたりで涙を流しました。
次回は、デイサービスや訪問介護を使い始めた母親の様子をお伝えします。
*写真はイメージです。
<三輪 泉(ライター・社会福祉士)>
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プロフィール
W・Eさん(女性 55歳)大学准教授
東京都在住。会社員の夫、息子と暮らす家に母が同居。2年後の離婚と同時に息子、母と実家に戻る。その約5年後から認知症に。デイサービスや訪問介護を使いながら暮らしていたが、仕事と介護の両立に限界を感じ、ケアマネジャーと相談して特別養護老人ホームに母親は入居。現在、大学生の息子と2人暮らし。
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