胃ろうになっても話せなくなっても、老人ホームの前向きな姿勢に刺激されて、母親を楽しませ、自分も楽しむ介護を続けてきたK・Uさん。しかし、命には限りがあります。刻々と近づいてくる最期をどう迎えるか――。ここでもKさんは前向きに死に向き合いました。Kさんの想い、そして行動は、親の介護をする人にとってはとても参考になります。どうか読者さんのみなさんもじっくり読んでみてください。
*この体験談の1回目、2回目、3回目、4回目(最終回)はこちら
いつ命を閉じてもおかしくない状態の中で
老人ホームで楽しく過ごしながらも、母の最期は刻々と近づいてきます。その頃、私は「いつ、亡くなってもしかたがない」とある程度覚悟を決めて、ホームに通うようになりました。入退院を繰り返すことも多くなり、私はヘルパー2級(現・介護職員初任者研修に相当)の資格を取りました。
ホームではスタッフの方々が褥瘡ができないように、清潔を保てるようにと、ていねいにきちんとケアしてくれました。けれど、入院中は入浴もできず、オムツの取り換えや口腔ケアも大事です。いつもきれいにしてもらっているのに、退院してからスタッフに苦労させるわけにはいかない。そう思い、母の入院中のケアのために取ったのです。
資格取得のための授業では、オムツ替えや食事介助など、実務も学びましたが、介護を受ける人の尊厳を守ることや、本人主義で接することなど、母の介護ですでに実践しているようなことを「介護の基本」として学びました。ああ、ホームのスタッフたちがしていることは、本当に正しい介護なんだと確認できて、それもうれしく思いました。
母が入居する介護付き有料老人ホームでは、24時間の看護体制はありません。たん吸引の行為ができるのは看護師と家族だけと決められているので、夜勤スタッフは柄付きのスポンジで刺激をしないように、たんをかき出してくれていました。でも脳幹梗塞後の母はたんの量が増えてしまい、たんをのどに詰まらせてしまうかもしれない。
退院してホームに戻ったとき、今後のことをどうするか、ホーム長、看護師、主治医、スタッフ、私とで、話し合いました。私は「私が夜ホームに来て、たん吸引します」と言いました。しかし、主治医に止められました。「Kさんが一番望んでいらっしゃることはなんでしょうか?」。ふと冷静になって言葉に出たのは、「最期まで、このホームで信頼できる先生に診ていただき、信頼できるスタッフにケアしてもらうことです」。
ここでできる介護をしよう。そうして母の死をそのまま受け入れよう。心が決まると、とても気持ちが楽になりました。
老人ホームのスタッフに囲まれて、笑ってさようなら
亡くなった7月のその日は、母の調子がとてもいい日でした。その前にずっと出ていた血便も止まり、帰るときにいつもは「今日が最期かも」と思うのですが、それも感じなかったのです。「じゃあね、また明日ね」と耳元で声をかけて家路につきました。
しかし、ほどなく老人ホームから連絡が。「お母様の呼吸が止まってしまいました!!」私は夫とともに急いでホームにかけつけました。ホームでは、昼間のスタッフと夜間のスタッフとの交代の時間で、ちょうど両方のスタッフがいました。たくさんのスタッフが母のベッドを囲んでいました。その光景はまさに、私が思い描いていたものでした。
「私がもっとていねいにたんを取っていれば……」その日、夜勤担当だった女性スタッフが、自分を責めるように言いました。でも、私は毎日ホームに通い、そのスタッフが熱心に母のケアをしてくれる様子を間近で見てきました。彼女はいつも、本当に心を込めて母をケアしてくれました。たんを取るときも、私が「もういいんじゃない?」と思っても、取った後の母の様子を時間をかけてみてくれていました。「そんなこと、絶対にないから!! あなたの心のこもったケアを、私はちゃんと見てたから!!」とお礼を言いました。
いつの間にか集まってきたたくさんのスタッフたちに囲まれ、管につながれることなく、命を惜しまれ、みんなに涙を流してもらい、天国に旅立ちました。ああ、これが私が思い描いていた母の最期だ、と思いました。
母の葬儀には、ホームの方々がたくさん来てくれました。異動になったり、退職したりしたスタッフもわざわざ足を運んでくれた。社交的で人が大好きだった母ですから、じめじめするのは似合わない。私たちはたくさん泣いて、そして笑顔で母を送り出しました。
母の死後は、自分らしい介護ができた充実感と達成感で満たされた気持ちも、1年経つころには、急に寂しくなりました。母の介護で仕事も辞めていましたし、私たち夫婦には子どもがいないので、心の支えを失ったような気持になりました……。
でも、今はそれも乗り越えました。ようやく母がいない暮らしに慣れ、私も自分を大事にして、自分のために生きようと思い始めました。好きなヨガをやったり、ときどき知り合いの店で販売の仕事を手伝ったり。家事をていねいにやって、ていねいに暮らそうとも思っています。そして、今は月に1度、母がお世話になった老人ホームでフラワーアレンジのボランティアをさせてもらっています。私は母が倒れるまでは、母の大きな存在に取り込まれていたのですが、介護を経験することによって、自分で考え、自分で選択することをようやく学んだのかもしれません。
これからは焦らず、自分らしく、楽しく。1日1日を大事に過ごしてきたいと思います。
*写真はイメージです。
<三輪 泉(ライター・社会福祉士)>
*この体験談の1回目、2回目、3回目、4回目(最終回)はこちら
プロフィール
K・Uさん(女性 59歳)主婦
世田谷区在住。父親が1998年に亡くなったあと、母親は老人ホームに入居。骨折、脳幹梗塞など、命取りになるケガや病気を経て、胃ろうも4年間行う。そして2011年に母親が逝去。その間、かたくなだった2人の関係が少しずつほぐれ、最期はお互いに幸せを感じることができた。子どもはなく、35年間連れ添った夫とふたり暮らし。ときどき販売の仕事などをしながら、ていねいに生きることを目標に暮らす。
介護体験談はこちらの記事も参考に
私が思う「良い老人ホーム」より
●デザイナー・東海大学講師/山崎 正人さん
●モデル・タレント・ビーズ手芸家/秋川 リサさん
●フリーアナウンサー/町 亞聖さん
●エッセイスト・ライター/岡崎杏里さん
●フリーアナウンサー/岩佐 まりさん
●映画監督/関口 祐加さん
●漫画家/岡 野雄一(ぺコロス)さん