母親のことを溺愛するがあまりに暴力をふるってしまう父と、認知症の母。なんとか母親に訪問ヘルパーを入れたくて、まずは要介護認定、と考えるW・Eさん。しかし、父親に激しく反対されて思い通りにいきません。ですが、地域包括支援センターの職員の努力で、ようやく事態は変わっていきます。
*この体験談の1回目、2回目、3回目、4回目(最終回)はこちら
まずは地域包括支援センターに相談する
実家のそばには、幼馴染がたくさん住んでいて、我が家の窮状を心配してくれました。要介護認定を受けたくても父が許さない、という話をしたら、地域包括支援センターというところがある、と教えてくれました。高齢者家庭の在宅生活の悩み相談にのってくれて、対策もしてくれるとのこと。父の暴力がどんどんひどくなっている頃でしたので、私もすがりついて事情を話しました。3年前のことです。
「まずは、要介護認定調査を受けてもらいましょう、お父さんを説得しないと」と、男性の職員が家まで訪ねてきてくれました。が、父の「帰れ!」の権幕があまりにひどく、家にも入れず、引き下がってしまいました。ガッカリしましたが、たしかに父の怒鳴る様子はひどいし、恐れをなしてしまうのもしかたがないかな、と。
父は仕事を引退していますし、収入はありません。私は家で父母を見ているだけというわけにはいかず、以前から務めていた会社の正社員の仕事は継続していました。というか、一日中、この修羅場を見ていたら、とてもじゃないけれど、私は耐えられない。父の暴力、母の認知症、それでいて父はいつも母のそばにいたがり、1時間も離れていられないのです。私が間に入ろうとしようものなら、ものすごい勢いで阻止されます。
朝、母の身支度をし、食事のしたくをしたら、あとは夜まで戻りません。仕事をしている間は、家のことは忘れられる。ふたりのことは心配だけれど、自分ひとりが背負うには重すぎます。小さい頃に父からさんざん暴力をふるわれた兄が何もしないのも、当然のことだと思っていました。たとえ、自分がいない間になにか起きてもしかたがない! と腹をくくり、私は思い詰めないことにしました。そうでもしないと、ひとりで介護をがんばることなんてできませんでした。
せめて昼間の見守りを、と一時期は配達のついでに様子をみてくれる、高齢者向けの宅配弁当を頼みました。しかし、父は「あの弁当はまずい」「配達に来るやつが気に食わない」と怒り出して、配達の人に暴言をはき、勝手に打ち切ってしまったのです。もう、手が付けられません。
要介護認定はいきなり5。介護サービスをどう入れるか
しかし、捨てる神あれば拾う神あり。地域包括支援センターの担当が別の人に代わって、とてもがんばってくれたのです。父が「帰れ!」と怒鳴っても、にこやかに何度もやってくる。そのうち、ねばり勝ちで家に上がり、母と接して認定調査の日程を組んでくれました。もちろんその日はいろいろと口実を設けて、父に外出してもらいました。
すでに歩けず、オムツ状態だった母は、はじめての認定で要介護5でした。母を外に出したくない父は、デイサービスの利用など許すわけがありません。ヘルパーさんの訪問も拒否でした。「家に知らないだれかが入ってくるなど、冗談じゃない!」と。しかし、父は母の手を握るだけで、オムツ替えもできない。入浴の介助は父がしていましたが、うまく浴槽をまたげない母の体をたたいてあざを作るのです。任せるわけにはいきません。
担当の男性はそのあたりの説得もとても上手で、なんとか訪問ヘルパーさんを毎日入れることに成功しました。また、介護ベッドも入れることにしました。ずっと母と一緒にダブルベッドで寝ていた父は、これも断固拒否でしたが、「サービスで無料でお試しできるんですよ。まずは入れてみましょうよ」などと上手に誘って、何とか入れました。父はこの狭いベッドにも母といっしょに寝ようとしていましたが、それも何とか説得して、父の目線の先に母が見えるような位置に父のベッドを設置し、何とか別々に寝てもらうことにしました。
母の軟禁状態はそれほど変わりませんが、ようやく介護保険サービスが整い、母はたくさんのヘルパーさんに支えられて生活するようになりました。本当によかった。
でも、次に問題になったのは、我が家の経済でした。父はかつてクリーニング店を経営し、一時期はとても繁盛していました。貯金は十分にあるはず。でも、競馬好きな父が、貯金をどんどん切り崩している気がするのです。「銀行の通帳を見せて」などと言おうものなら、暴れて母を殴ろうとするので、聞くこともできません。でも、介護保険サービスに支払うお金も必要。しかも、父は84歳になり、父自身も認知症のきざしが表れてきました。
ケアマネジャーさんも地域包括支援センターの担当者も、お金のことだけは関われないといいます。このままでは、もしかしたら、すっからかんになってしまうかもしれない――。そんな恐怖が私を襲いました。
次回は長年音信不通だった兄夫妻が訪れたときの様子をお伝えします。
*写真はイメージです。
<三輪 泉(ライター・社会福祉士)>
*この体験談の1回目、2回目、3回目、4回目(最終回)はこちら
プロフィール
W・Eさん(女性 57歳)事務職員
埼玉県在住。実家を出て嫁ぎ、25年たって母の認知症が発覚。独身だったため、実家に戻り、10年前から母親の介護をする。暴君だが母親を溺愛する父とともに3人暮らしが始まる。母親は3年前から歩行や排せつができなくなり、認定を初めて受けたときから要介護5に。フルタイムの仕事に出ている昼間は訪問へルパーを頼み、朝と夜はWさんが担当する。現在、母親は81歳、父親は86歳。最近、父も認知症と思われる行動が出てきた。現在は実家のすぐ横のアパートの一室でひとり暮らし。離婚する前の夫との間に、35歳、31歳の息子がいる。
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