7年以上の介護が終わり、抜け殻のようになったT・Mさん。生きる気力すら失いかけましたが……。今、妻が懸命に取り組んできたことをならって、Mさんも生きて行こうと考えています。介護した妻が与えてくれたものは、とても大きく、尊いものでした。
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妻の死因を考えるとますます落ち込んで
妻の葬儀を終え、目の前のやることが一段落すると、静かな時間がかえってきました。すると、深い悲しみが襲いました。そして、自分を責めました。なぜ妻の酸素マスクがはずれていることに、もっと早く気づいてやれなかったのか。最初にマスクがはずれていたときに、もっと注意すべきだったのではないか?
何もやる気が起こらず、ぼんやりとして過ごしていました。そんな私を、娘は心配し、嫁ぎ先の関西からしばしば出てきてくれました。「お父さん、今のような生活を続けていてはダメ。ちゃんとご飯を食べて、毎日活動してください。お母さんだって、ぼんやりしてばっかりのお父さんを見たらガッカリするよ」。そうなんだ、わかっている。でも、体が動かなくて……。
そんな中、妻の最期を考え続け、自分なりに出した結論は、「妻は自分から酸素マスクをはずしたのではないか」ということでした。その日の早朝にマスクを戻したときは、たまたま手がマスクに触れてマスクがずれた、という感じでした。でも、息をしていなかったときのマスクのはずれかたを今になって思い出すのです。
あれは、はずれかたがおかしかった。ちょっと触れてずれたというのではない。これまでにはないような、大きなずれ。自分でも戻しずらいような、そんなずれかただった。動転して心臓マッサージをしていたときには気づかなかったけれど、そうに違いない、今になって確信するのです。
妻は、自分で命に区切りをつけたのではないかと思えて来ました。苦しさが続く人生。それでも気丈にがんばってきたけれど、がんばればがんばるほど、私に迷惑をかけると、妻はよく言っていました。「そんなことはない、あなたが生きていてくれることが、私の生きがいなんだから」とも伝えていましたが、年上のしっかり者の妻にとって、いつも私が妻の世話をしていることが、忍びなかったのだろうと思うのです。なんということだ……。私はまた、悲しみの底に沈みました。
娘も、私がなぜ沈んでいるのかを理解し、私をなぐさめ、そして勇気づけてくれました。そしてあるとき、こう言ったのです。
「お母さんがやりたくてできなかったこと、お父さんがやってあげてよ。そうしたら、お父さんはいつまでもお母さんといっしょに生きることができるよ」
そうか、と思いました。妻がやりたくてもできなかったこと。その一番は、地域活動でした。75歳で交通事故に遭うまでは、高齢者の方々が楽しくすごせるようなお茶会の世話役をやっていました。勉強会に出て知識をつけて、介護をする家族の方の悩みを聞くようなこともやっていました。「自分が生きているうちは、誰かの役に立ちたい」といつも言っていました。そうか、それが妻のやりたかったことなら、私がそれをやってみよう。妻のようにはできないかもしれないけれど、妻を目指して、妻の代わりにやってみよう。
地域ボランティアと孫の世話に忙しい日々
今、私は地域ボランティアとして、介護をする家族の集まりに参加し、世話役をやっています。皆さんのお話をただ聞くことぐらいしかできませんが、聞いて差し上げることで、心が少し軽くなるのなら本望、と思っています。認知症の方ご本人とも接し、お話をすることも多くなりました。みなさん、一生懸命に生きていて、その姿は妻の姿に重なります。
病気の人ほど、謙虚にまっすぐに生きている、と感じます。その純粋な姿から学ぶことが多く、私もしっかり生きていかねばならないと自分に言い聞かせます。
今、娘の長男、つまり私の孫が、私の家に同居しています。会社員の孫は、たまたま私の家から30分ほどの営業所に転勤になり、同居することになりました。孫もまた、私と同様、建築関係の仕事なので、朝から晩まで多忙です。少し過保護かと思うのですが、掃除や洗濯をうけおって、気持ちよく過ごせるようにしています。
孫が同居したことで、生活のリズムができて、私自身も健康になりました。孫もなにかと私に感謝の言葉をかけてくれるので、やりがいがあります。今の生活を大事にしながら、妻の遺志を継いで、残りの人生を過ごしていけたらいいな、と思う毎日です。
*写真はイメージです。
<三輪 泉(ライター・社会福祉士)>
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プロフィール
T・Mさん(男性 74歳)
神奈川県在住。8年半前に、9歳年上の妻(当時75歳)が交通事故に遭い、入院。検査をしたところ、肥大した大動脈瘤がみつかる。手術をすると脳死状態になる可能性が高く、断念する。以後激しい痛みに襲われ、入退院を繰り返す。闘病3年ほどのところで肺炎に。肺に水がたまり、酸素ボンベを使うようになる。6年経ち、肺がんに。医師からは常に「あとわずかの命」と言われながらの7年間だった。死因は酸素マスクがはずれたことだったが、Mさんは「自ら妻がはずしたのでは」と思っている。現在は会社員の孫とともに同居。
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