若年性アルツハイマーなどという言葉さえ、ほとんど聞くことがなかった1980年代から、26年にわたって母親の介護を続けてきたO・Mさん。結婚後2年目からずっと、母親に寄り添ってきたOさんは、結婚相手との家庭以上に介護を大事にしてきたようにも思えます。そのドラマを、4回に分けてお伝えします。
*この体験談の1回目、2回目、3回目、4回目(最終回)はこちら
ちょうど結婚する頃、母の様子が変わってきた
幼い頃に父親を亡くし、4人の娘を抱えた私の祖母は、生活のために、長女である私の母を、親戚の会社の社員のところへ嫁がせることに決めました。先の見通しもつかない母娘5人の暮らしを支えるために、祖母は母を犠牲にするしかなかったのです。
母はとてもきれいな人で、見た目も華やかでした。12歳年上でホテル勤務の父は、ひとめ見て、母を気に入ったそうです。結婚後、すぐに私と妹を出産。それからは、ずっと専業主婦として、多忙な父を支えてきました。
その母が少し変化したのは、私たちの小学校のPTA役員になり、先生方やほかの主婦の方々と懇意になってからです。とても華やかな関係で、昼だけでなく、夜も先生や仲間たちと集い、あちこちのお店にでかけていきました。父の仕事は深夜に及ぶことが多く、母の行動には全く気づきません。私たち姉妹も、楽しそうな母を見ると、とても父親に言う気になれず、遅くに出ていく母を見送っていました。社交ダンスを始めて、ドレスを着てお化粧も濃くなり、それがまた似合って、母はますます女性として輝き始めました。
女性として魅力的になっていく母を、私は素直に喜び、美しさを自慢するようになりました。けれど、大人になるにつれ、ちょっと心配になったのです。母は、華やかではあるけれど、ちょっと言動がおかしい。かねてから父親の親戚とは仲が良かったのですが、親戚の集まりで、ちゃんと挨拶ができない。待ち合わせをして出かけることになっているのに来ないから、電話してみると、家で寝ていたり……。
父も私たち姉妹も、不審に思っていました。けれど、母はまだ49歳。若いですし、見た目も元気です。当時は“認知症”なんていう言葉も聞かない時代でした。しかも、ちょうどその頃、私は28歳で、妹は25歳でほぼ同時に結婚することになって。私は夫の転勤で九州へ、妹は夫の父母と同居することになって東京へ。千葉県にいる母から遠く離れてしまい、母の様子をうかがい知ることができなくなりました。
父とは連絡をとっていましたから、母の様子がさらに変化していることは、わかっていました。夫の転勤が終わって首都圏に戻ってきたときに、母を連れて、社会福祉協議会の福祉相談に行ってみたのです。当時は、介護保険もない時代。相談できる場所も限られていました。すると、相談員の人がこう言ったのです。「お母様は、たぶんアルツハイマーです。一度、病院に行かれたほうがいいですよ」
ベストの上にブラウスを着てしまう
アルツハイマーなんていう言葉も聞いたことがない私は、びっくりしました。それって何!?
かいつまんで、脳の病気らしいことは聞いたのですが、不安でたまりません。すぐに紹介された病院に行って検査をしてみると、やはり認知症でした。当時は若年性アルツハイマーなどという言葉もない時代でしたが、たしかに若年性の認知症だったのです。
当時、父は心臓が悪く、持病を抱えながら仕事をしていました。夫の転勤で私がいなかった2年間、父はひとりで母のことを心配していましたし、家事も担っていたようなので、もうこれ以上世話を頼めません。乳飲み子を抱えて遠くに住む妹は、「私もなんとかお世話をしたい」と言ってくれましたが、現実には無理です。実家近くに居を構えていた私が、母の面倒をみることになりました。
その頃には、日常生活を送るのも、かなり難しくなってきていました。夜中に起きては朝布団に入り、昼まで寝ている昼夜逆転が起こっていました。認知症の人は、1日に何度も着替える人が多いですが、母もご多聞に漏れず、何度も何度も着替えます。おしゃれな人だったので、ますます服が気になる。けれど、ベストの上にブラウスを着たり、へんな組み合わせだったりで、私が家に着いてから、着替え直してもらうこともしばしばでした。
それでも、母は社交ダンスを続けたかったようです。すでに父もそれを許していました。ひとりでダンスの練習場に通うのですが、ちょうど改札が自動改札になった頃です。その自動改札の使い方がわからない。練習場にドレスや荷物を置いたまま帰って来てしまい、お金がないことに気付いて、交番でお金を借りることも何度もありました。時には裸足で帰ってきてしまうこともあり、だんだん、ひとりで行動することも難しくなってきました。
次回は、夫の母も加わった実母の介護体制についてお伝えします。
*写真はイメージです。
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プロフィール
O・Mさん(女性 61歳)介護職員
千葉県在住。28歳で結婚してすぐに、母親の認知症を知る。夫の転勤で九州在住になり、首都圏に戻ってきた2年後から母親の介護のために実家へ通うことに。介護にまい進するが、その10年後、夫から離婚を切り出される。以後は母親とふたり暮らしに。その後、寝たきりになった母親と同居を続けて16年、通算26年間の介護生活を送る。現在は介護職員として勤務している。
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