間質性肺炎にかかり、体重も落ちて衰弱している父親を見て、もうひとりでは暮らせないだろうと考えたM・Tさん。地元のグループホームに入るにもお金が足りず、Mさんの住まいのある首都圏はもちろん無理。あちこちに問い合わせ、食い下がって……。今回はそんなホーム探しの顛末をお伝えします。
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介護を受けても住めるケアハウス
父が間質性肺炎だとわかったあと、父に介護保険の要介護認定調査を受けてもらいました。そして、私は埼玉に戻りました。1ヶ月ほどすると、封書が送られてきて、あけてみると、父の要介護度は「要支援1」でした。
あんなに具合が悪いのに、「要支援」だったことにがっかりしました。最近は、少しわけのわからないことも言うようになり、認知症かな、とも思っていたのですが。ケアマネジャーをしている友人に聞いたら、「聞いた感じでは、認知症というほどでもないし、歩くのも歩けるし、そんなものかもしれないね」ということでした。
でも、とにもかくにも、父はもうひとりでは暮らせそうもありません。なんとか暮らしていけるとしても、私は長崎に父を置いておくのは嫌だったのです。父が弱れば、親しい女性が実家に居付くかもしれない。それは絶対に避けたかったのです。もちろん、父が実家をあとにし、恋人の家に転がり込むのも嫌でした。狭い地域社会の中で、もうとっくに噂になっていると思うのですが、これ以上人の口にふたりのことが上るのは避けたいと思ったのです。
でも、1ヶ月に出せるお金は10万円程度。これで、いったいどこに入れるのだろう……。長崎の老人ホームなどは、埼玉からはうまく探せないかもしれない。埼玉の私の家に引き取ることも視野に入れて、まずは埼玉の区役所に行って、事情を話してみました。しかし、埼玉の家のそばには、やはり入れそうなところはありません。「首都圏でその金額では無理ですよ。軽費老人ホームというのはありますが、比較的元気で、身の回りのことができることが条件で、介護が必要になったら、退去しなければならないところがほとんどです」と、福祉事務所の人はさらりと説明しました。そして、「お父様がお住まいの九州のどこかで探すほうが、可能性は高い」と言われ、私は再度、長崎行きの飛行機に乗りました。
長崎の役所で、まるで陳情を言うようにあれこれと聞いてみました。父は肺の具合が悪いので、酸素ボンベが必要です。すると、長崎県内で探しても、ボンベをつけていても入れる軽費老人ホームはないとのこと。しかし、鹿児島には、父の条件に合う「ケアハウス」があると言うのです。まずは元気であることが入居の条件だけれど、ボンベのことは目をつぶってくれる。そして、介護が必要になっても、引き続きそこで在宅の介護サービスを受けられるのだとか。介護のサービスを受けるにはまたお金が必要だけれど、その頃には子どもたちの受験も一段落して、いま週2日しか通えていないコールセンターの仕事も、もう少し増やすことができるだろう――。
ときは6月。夏になったら父はもっと衰弱して、住まいを移すこともできなくなるかもしれない。今じゃなきゃだめなんだ。そんな強迫観念にもかられ、私は鹿児島のケアハウスとその他いくつかの老人ホームを見学しに行きました。結果、紹介されたケアハウスに入居の手続きを取りました。
レンタカーを借りて父をのせ、鹿児島へ
突然の鹿児島への引越し。実家を引き払って、親しい女性とも別れることに、当然ながら父はしぶりました。「ここがいい。ここを離れたくない」と、やせ細った体で訴えます。でも、私は意地になって「鹿児島に移ってほしい」と言い張りました。鹿児島には、それほど仲がよくはないけれど、兄弟たちもいる。私たちが首都圏で暮らしていても、なにかと世話をしてくれるかもしれません。いざというときにだれも父のもとに駆けつけてくれない今の状況にいつも私が対応するのは大変です。また、私が行かなければ、父の親しい女性が駆けつけるのも、不愉快きわまります。
実家を売ったら多少のお金になる。それも、父の将来の資金にできると考えました。今思えば、父の希望を無視し、随分と独りよがりでした。なんで、あんなにむきになったんだろう。でもそれは、やはり父と親しい女性を引き離したい気持ちが強かったのだろうと、あとから思いました。
私は小さなレンタカーを借り、後部座席に父を乗せ、半日がかりの長いドライブをしました。荷物は先に送り、狭い車内には父と当面の着替えだけ。「寂しい引越しだな……」父のつぶやきさえ聞こえないふりをして、私はひたすら車を走らせました。
次回は、ケアハウスに入居したMさんのお父様の様子をお伝えします。
*写真はイメージです。
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プロフィール
M・Tさん(女性 57歳)コールセンター勤務
埼玉県在住。故郷・長崎県で大学時代を過ごし、上京した直後に母親が死亡。母より5歳年下の父は、悲しみながらも数年後には知人から紹介された女性と同棲しているらしいと知る。そのことにあまり触れずに父を年に数回呼び寄せては世話してきた。3年前、父が81歳のときに、長くわずらっていた前立腺がんが末期の状態に。ひとりで暮らせない父親を呼び寄せるべきか、故郷の老人ホームを探すべきか、父の少ない資産をもとにして決断を迫られる。埼玉の自宅には夫と24歳の会社員の息子、大学生の娘がいる。
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