妻に先立たれ、ひとりでひっそり生活しているかと思えば、体が弱くなった父親を支えていたのは、親しい女性。その女性から、「お父さんはとても具合が悪いのです」と電話をもらって、父親の病気が末期であることを知るM・Tさん。突然の衝撃に耐えながら、次々に対処を迫られます。故郷・長崎県と埼玉県、遠く離れているからこその介護の苦難をひとりで乗り切る姿を、4回に分けてお伝えします。
*この体験談の1回目、2回目、3回目、4回目(最終回)はこちら
タバコ片手に文学を語る父は粋だが不健康に
私の母は晩婚で、私を30代後半で産み、家族の生活を支えながら62歳で亡くなりました。父は母よりも5歳年下。見た目はダンディで、芸術肌の人です。面白い人、魅力ある人と他人に言われますが、一家の主としては、娘の私から見ても頼りない人でした。
母の実家は古物商で、地元で店を開いていました。各地でよい出物を見つけては取引して店に並べます。そのセンスのよさと手頃な価格が功を奏して、店は賑わっていました。全国の骨董屋とつながり、東京の骨董屋さんがうちで仕入れた商品を東京でもっと高い値段で売ることもしばしば。目の肥えた顧客にも愛されて繁盛し、私が幼い頃は、裕福な暮らしをしていました。父母は一人っ子の私をかわいがり、ミッション系の学校に通わせてくれました。
しかし、母が亡くなると、少しずつお客さんが減っていきました。母は何かとていねいで、四季折々に手紙や電話でお客さんに挨拶をしていました。一方、父は居丈高に店番をするだけ。お客さんが値切ろうものなら、「帰ってくれ」と言わんばかりです。古くからのお客さんも、「お母さんがいたときはよかったなぁ」などと、私につぶやくほどでしたが、父は知らぬ顔でした。
また、父はお酒もタバコも大好きで、「不摂生こそ粋」だと思っているところもありました。地域の文学研究会でタバコ片手に語る父の姿に憧れる後輩も多かったといいます。しかし実際は、母の実家の財産のおかげで「粋」を実現し、そして財産を減らし、健康も害していったのです。
そんな父や没落していく実家を見たくなくて、私の足は長崎から遠のきました。結婚をし、子どもが生まれるとますます遠のき、数年に一度しか帰らないほどでした。それには、もうひとつの理由がありました。父は文学研究会の仲間の女性と懇意になり、彼女を実家に頻繁に泊めているようなのです。自分の住んでいた家で、母以外の女性と過ごす。そのこと自体に拒否感が大きくて、私は父の存在すら消したいぐらいでした。
しかし、父の健康状態は、どんどん悪くなっているのが目に見えていました。食事もろくなものをとらず、お酒やタバコをやめないので、心臓も肺も弱くなっています。そのため、子どもが小学生になると、重い腰を上げて、父を埼玉の私たちの家に年に数回、呼ぶようにしました。2週間ほど家にいさせて食事を作り、こちらの医者にみせて、健康状態をチェックすることにしたのです。
年に数回呼び寄せると健康状態がよくなる
父の血液検査や尿検査の結果は思わしくなく、心臓にもだいぶ負担がかかっているようでした。そして、前立腺がんであることも判明しました。私はそれほどショックではありませんでしたが、本人は医師の前で絶句していました。医師は、「前立腺がんは、たくさんの男性がかかる病気です。さまざまな治療方法もありますが、進行が遅いことも多いので、手術をせずに上手に付き合うと考えてみてはいかがですか」と言われました。
父は、2週間ほど酒もタバコも控えて、私たちの家で過ごしました。栄養状態がよくなると、埼玉に来たときよりもみるみる顔色がよくなり、元気になる気がしました。父も、「おまえのおかげで寿命が1年伸びたよ。また次も頼む」と言うようになりました。父が嫌いだった私も、こんなに素直に喜んでくれるならと、年に2、3回は呼び寄せるようにしたのです。
けれど、子どもたちが大きくなると、高校受験、大学受験などがあり、あわただしくて、呼び寄せられない年も増えてきました。電話で、「ごめんね、お父さん」と言うと、「いいんだ、最近は遠くに出かけるのもちょっとおっくうでね」などと言ってくれました。父の身体の状態は悪くなっているな、と思っていましたが、私も自分の仕事や、子どもたちや夫の世話で手一杯。父のことを熱心に考える暇もなく、2年ほど過ぎました・・・。
忘れもしない2012年の2月、我が家の電話が鳴りました。電話を取ると、「●●です」と。だれだろうと思ったら、父の親しい女性でした。「お父様は今、とても衰弱し、おかゆしか口に入りません。私のアパートで過ごしてもらっているんですが、ご家族なんですから、もう少し気を遣ってあげてください。私のアパートでみるのも限界なので、1、2週間後に迎えに来ていただけませんか?」
呆然とし、しばらく動けませんでした。
次回は、長崎でのMさんと父親とのやりとりを中心にお伝えします。
*写真はイメージです。
*この体験談の1回目、2回目、3回目、4回目(最終回)はこちら
プロフィール
M・Tさん(女性 57歳)コールセンター勤務
埼玉県在住。故郷・長崎県で大学時代を過ごし、上京した直後に母親が死亡。母より5歳年下の父は、悲しみながらも数年後には知人から紹介された女性と同棲しているらしいと知る。そのことにあまり触れずに父を年に数回呼び寄せては世話してきた。3年前、父が81歳のときに、長くわずらっていた前立腺がんが末期の状態に。ひとりで暮らせない父親を呼び寄せるべきか、故郷の老人ホームを探すべきか、父の少ない資産をもとにして決断を迫られる。埼玉の自宅には夫と24歳の会社員の息子、大学生の娘がいる。
ほかの介護体験談も読む
●他の人はどんな介護をしているの?「介護体験談一覧」
私が思う「良い老人ホーム」より
●デザイナー・東海大学講師/山崎 正人さん
●モデル・タレント・ビーズ手芸家/秋川 リサさん
●フリーアナウンサー/町 亞聖さん
●エッセイスト・ライター/岡崎杏里さん
●フリーアナウンサー/岩佐 まりさん
●映画監督/関口 祐加さん
●漫画家/岡 野雄一(ぺコロス)さん