父親を失った矢先、母親のすい臓がんが発覚。抗がん剤治療の甲斐はなく、母親自身も、娘のY・Aさんも、最後の時を意識します。相次いで家族を失う衝撃は、一人で受け止めるには大きすぎるものでした。ご飯が喉を通らず、自宅にひきこもりがちになるYさん。その閉じてしまった心の扉を開いたのは……。最後まで、ぜひ読んでください。
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すべてが終わったら、起き上がれなくなって
死に向かい、弱っていく母に、私はいろいろ聞かなくてはならないことがありました。ひとりでお葬式を出すのです。相談できる人がいないのだから、本人に聞くしかありません。
葬儀はどこでやりたいの? 一度家に帰る? それとも葬儀屋さんの冷蔵庫に預かってもらう? そんなリアルなことも、聞かなくてはなりません。
でも、母はすでに腹を据え、ひとつひとつ、希望を述べてくれました。死を受け止める覚悟がしっかりできていたんです。かねてから尊厳死協会にも入会していて、医師にも「延命はしません」と自ら宣言していました。
お医者さんには5万円を包んでね。病院には、5000円のえびせんべいを買って渡してね。こんな細かいことまで、私が困らないように言い置いてくれました。
時は2012年12月初旬。街はクリスマス一色です。母にクリスマスプレゼントを買いたくて、フタ付きのマグカップを買いました。クリスマスまで生きていてほしい、という思いも込めました。けれど、母に、「クリスマスいっしょに祝えるかな?」と言ったら、「わからない」と。1月12日がお誕生日なのですが、「誕生日は祝えるかな?」と聞くと、力なく笑いながら、「それは無理、かな」。
病院からの帰り道は、ことさら寒く冷たく感じられました。
母は、クリスマスも正月も誕生日も祝うことなく、12月12日に亡くなりました。葬儀自体は、父のときと同じようなことをやっただけなので、戸惑うことはありませんでした。ただ、四十九日を終えた後、父の兄がこう言いました。「あんたのお母さんは、うちの家の人間とは認めないから、うちの墓に入れるな」。なんてことを言うのでしょうか。母の姉とあきれ、しかたなく父を親族の墓から出して、母と父と一緒の納骨堂に入れました。母の一周忌、三回忌は、母方の兄弟と私だけでやることにしました。
その間、私はやっぱりごはんがのどを通らなくて。もうだれにも会いたくない、話したくもない。今思えば、拒食のひきこもりです。朝起きても何もする気が起きず、また布団に伏せてしまう日々。気が付けば、10日間も何も食べずに寝っぱなしのときもありました。もう、つくづくいろんなことが、いやになったんです。
介護家族の会のスタッフとして活動していく
でも、2014年の1月、「これじゃ、まずい!」と思ったのです。こんなことをしていたら、本当に私も死んでしまう。なんとかしなきゃ――。ずっと父母の介護とその後の始末や法事で心も体もいっぱいいっぱいで、自分のことを考える余裕もなく来てしまいましたが、気づけば私も36歳。今から結婚というのも考えられなくて、これからひとりでどう生きるのか、決めていかねばなりません。
幸いにも、父が残してくれた家とお金で、私はなんとか暮らして行けます。でも、それだけで、今後一生過ごすわけにはいきませんし。――ふと、かつて父とともに通った認知症の家族会に行こう、と思いました。そこは、認知症の人もそうでない人も、話し合える場です。まずは保健師さんに、これまでの話を聴いてもらおうと思いました。
思い切って会の扉を開けたら、みんな、すごくあたたかく迎えてくれました。私が引きこもっていたのもなんとなく知っていたようで、「いつでも遊びにおいで」と言うだけでなく、メンバーの方が連絡をしてきて、「ご飯を一緒に食べよう」と、さりげなく誘ってくれるようになりました。
信頼できる人たちと話すことができたら、だんだん元気が湧いてきました。すると、「今度NPOを立ち上げるから、スタッフになってくれない?」「介護経験者として、みんなの前で話をしてくれない?」などと依頼されるようにもなったのです。
今、私はボランティアで、いくつかの家族会やNPOをかけもちしながら、スタッフとして活動しています。目の前にやるべきことがあると、体は動くものですね。会をどうやったら盛り立てていけるか、苦しんでいる人に、どんなヒントを伝えたらいいか。考えて行動することが、今の私の生きがいにもなっています。
ようやく私は、健康を取り戻しました。明日は、家族会の人たちとの、温泉ツアー。しっかり食べて飲んで、みんなを癒して癒されてこようと思っています。
*本文中の写真はイメージです。
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プロフィール
Y・Aさん(女性 36歳)
東京都在住。2006年、もともと肺が弱かった父親が73歳のときに認知症を発症。肺の持病もこじらせて入退院を繰り返す。Y・Aさんは、この頃、父親の言動をめぐってうつ状態に。父親は2010年には療養病院へ。同年に亡くなる。一息つく暇もなく、2011年に母親がすい臓がんと診断される。抗がん剤の点滴をするが、2012年の末に70歳で死去。以後は、家族で暮らした家に一人暮らしをしている。
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