介護7年目に入った年から、H・Sさんの義父母の介護は、大きな転換期を迎えます。義父も義母も老いが病気を加速させ、Hさん自身も60代になり、退職を迎えます。自らも人生の一区切りをつける時期に、終わりの見えない介護の日々を、どのように過ごしたのか、そして今後は――?
最終回では、Hさん自身の生きがいについても、じっくり伺いました。
*この体験談の1回目、2回目、3回目、4回目(最終回)はこちら
93歳で乳がん手術、要介護5に
平成20年を過ぎた頃には、特別養護老人ホーム(特養)に入居している義父の体力が徐々に弱まってきました。
90歳を過ぎ、筋力が落ちて、食事をかむ力や飲み込む力も弱まってきました。食べ物をのどに詰まらせることが多くなり、食べ物が気管に入って肺炎を引き起こすなど、典型的な嚥下障害がたびたび起こります。そうしているうちに体力を失い、とうとう平成21年の1月に、義父は亡くなりました。
その頃になると、義母は家族のことがだんだんわからなくなってきました。私のこともわからないことが増えてきて、割烹着を着ているときだけ、判別ができるようでした。義母はますます子どもの頃の記憶の世界を大事にするようになり、心は鴨川の実家にいたころに戻っているな、と思うことも増えました。
私もまた、体力の衰えを感じてきました。以前から悪かった膝も、介護の負担が増えたこともあって、さらに痛くなってきました。平成22年、60歳の節目を迎え、13年続けたタクシードライバーの仕事も辞めることにしました。
すでに定年を迎えていた夫と、私とで、義母の世話を分担しました。夫は相変わらず身体介護を担い、私は義母のこまごまとした世話を、よりきめ細かくやるようになりました。義母の話を聞き、冗談で返したり、いっしょに遊んだりすることも、私の役目でした。
しかし、90歳の誕生日を迎える頃には、義母はさらに弱ってきました。ケアマネジャーさんと相談し、特養の申し込みをしました。申し込んだところで、順番待ちですから、すぐに入居できるわけではありません。本当に体力が弱まって、デイサービスやショートステイにも行けなくなった頃に、入居できればいいな、ぐらいの気持ちでした。
そして、平成26年9月、義母は腎盂炎(じんうえん)と帯状疱疹を併発し、入院。すると、検査の結果、乳がんであることもわかりました。腎盂炎や帯状疱疹は、病院で安静にしていればおさまってきました。
しかし、乳がんは……。医師は「手術しましょう」と言いました。93歳で手術!? 私も夫も戸惑いました。けれど、ここは医師に任せるしかないと思い、決心して承諾し、そして手術は無事に成功しました。
しかし、それでよかったのか……。長い退院ののちに戻ってきた義母は、食事をしてもむせるようになり、介助が必要になりました。要介護認定をし直すと、要介護5になっていました。
要介護5になったことで、特養入居の緊急度が高まり、皮肉なことに、3年5カ月待った特養に、急に入居できることになりました。義母が初めて認知症だと気づいてから13年。本当に長い長い道のりでした。平成26年暮れのことです。
介護の経験を語るボランティアに
今は、週に数回、義母のところに面会に行きます。今は体調もいい様子で、行くと元気に迎えてくれます。
特養は男性の職員も多く、そのせいか気が若くなって、「私はこれからお嫁に行くのよ」なんて言っています。また、私たちのことは忘れてしまっても、いつも一緒にいた犬のことは覚えていて、犬といっしょに面会に行くと、犬の名前で歌を作って、大声で歌ったりしています。
その姿も、とても楽しそうで、私も一緒に歌ったり、遊んだり。若い頃は、自分にも人にも厳しい人だなぁ、と思っていましたが、義母には案外ひょうきんな面もあるのだな、と発見して、また楽しくなりました。
13年間、自分の時間を持てずにいましたが、義父が亡くなり、義母が特養に入って、「ようやく好きなことができるわね、何をするの?」なんて人に聞かれます。でも、何をするといっても、特別したいことはないし、義父母がいたときも、ときどきショートステイにお願いして、夫と旅行に行くことはしていました。「今だから、したいこと」というのは特にないですね。長年、無理を重ねてきた膝を本格的に治したいと思い、手術することだけは決めましたが。
ただ、少し前に、住まいの近くの地域包括支援センターに「Hさんの介護の体験を、介護している家族に話してくれませんか?」と頼まれ、僭越ながらお話をさせていただいています。認知症の人とどう付き合うのかとか、こだわりをどうかわして納得してもらうのかなど、私がやってきたことをぜひみんなに話してほしいと、とおっしゃっていただいて。2か月に一度、経験談をお話させていただいています。
また、そんな中でデイサービスを経営している方などともお知り合いになり、「Hさん、うちで働いてよ」などと言われています。膝が悪いので、身体介護は難しい、とお断りしようと思っていたら、「利用者さんと、テーブルで話してくれればいいから。Hさんの話を聞いていると、きっと利用者さんも楽しくなると思うから」などと言ってくれます。もし膝の手術が終わって経過がよかったら、半分ボランティアみたいな形で、お仕事をしてみようかなとも思っています。
介護の問題はとても奥が深くて、私のような者が語れるようなものではないのかもしれません。でも、同じ介護をするなら、明るく楽しくやったほうがいいんじゃないかな、と思います。そんなヒントになるようなことができれば、私の介護もみのりがあったのかもしれませんよね。
これから介護をされる方も、今介護で苦しんでいる方も、少しでも楽しくなれるように、お役に立てたらうれしいな、と思っています。
*写真はイメージです。
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プロフィール
H・Sさん(女性 64歳)主婦
埼玉県在住。長男、夫(69歳)と3人暮らし。ほかに別居の次男がいる。
結婚と同時に義父母と同居し、義母に子育てをサポートしてもらいながらタクシードライバーなどとして仕事を続けるが、13年前に義母が認知症に。義父もその後認知症や大腿骨骨折などで介護が必要となり、要介護4で特別養護老人ホームに入居、5年前に他界する。残された義母の介護をするために仕事を辞め、専業主婦に。要介護5となった義母は2014年暮れに特別養護老人ホームに入居。
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