母親が病気になり、肺の状態が悪く入退院を繰り返す父親とともに同居することになったW・Tさん。病気への不安からわがままになる父親の看病に振り回されます。そして、悲しいドラマが……。今回は介護そのものだけでなく、父母との心の交流に悩む姿をお伝えします。
*この体験談の1回目、2回目、3回目、4回目(最終回)はこちら
父の入院と前後して母の具合も……
父は、酸素ボンベといっしょに退院してきました。外出用のボンベもあるので、外に出歩けないわけではありませんが、カートに入れてチューブをつなぐその恰好に自分がなじめず、部屋にこもることが多くなりました。父が出かけないので、母も買い物や通院以外に外に出る機会が少なくなり、その分、私が両親を気遣う時間が長くなりました。それぞれの距離が近すぎてストレスを抱え、関係性が悪くなってきます。
父はちょっとしたことで母を怒鳴り、母は被害者意識を強くします。怒号が飛び交う隣の部屋に入っていくと、母が涙を流していることも多く、間に入ってなだめたり、父をたしなめたり。すると父がますます怒るので、母を私たちの家のリビングに連れていくなど、こちらの暮らしにも影響が出てきました。父は昼も夜中も怒鳴るので、私の睡眠時間が削られ、とうとう腰痛で歩くのもままならなくなりました。
するとあるとき、隣の部屋から大きな音が。あわてて飛んでいくと、父が階段から転落しているのです。全身を強打したようで、動くことができず、あわてて病院に急送しました。しかし、骨が折れたわけではないので入院することもできず、自宅で療養生活。少しずつよくなっていくのを待つのです。思うように体が動かないのに口だけは達者なので、母に心ないことを言い、母はまた泣き始めます。食欲不振の父は、食べるものを指定し、家に材料がなければ、買ってこさせます。見かねて私が調理をすることも増え、私はまるで、父母のお手伝いさんのようでした。
思えばこのころから、母の病状も悪くなっていたのでしょう。感情をコントロールすることが難しくなり、物忘れのような症状も出てきました。医師によれば、「たぶん血管が破れることはない」とのことでしたが、同居を始めて1年4か月、秋が深まるころに母は倒れ、帰らぬ人となりました。
デイサービスに通い始めて父は変わった
ガンのような長い闘病生活も大変ですが、いきなり身内が死んでしまうのは、家族にとって、大きな精神的ダメージを与えます。葬儀や部屋の片づけなどがひととおり終わると、私はしばらく、ぼんやりと過ごしていました。短い期間に父母の入退院、葬儀といろいろあったので無理をし、腰の痛みも増しています。朝、痛みをこらえて朝食のしたくをして夫や娘を送り出すと、あとはソファで横になると起きられず、父の食事の世話もおっくうなほどでした。
父も同様でした。亡くなった当時は、「俺が悪いんだ、俺のせいだ」と泣きっぱなしで、情けないほどでした。そしてやはり葬儀が終わると、部屋で何もせず、ぼーっとしていることが増えました。怒鳴る相手もいないので、声を発することも少なくなり、たまに声をかけても、反応が鈍いのです。このままでは認知症のようになってしまう……、と心配になった矢先、夫に喝を入れられました。
「いつまでも落ち込んでいたら、ママも年寄りみたいになっちゃうぞ。ちゃんと整体に通って、腰を治しなさい。お父さんも、このままではまずいよ。知り合いに話したら、この地区にいいケアマネジャーさんがいるらしいから、紹介してもらって、デイサービスでも行ってもらえばいいんじゃないか? 俺がお父さんに話してみるよ」
父は夫にやさしく説得され、断ることもできずに、しぶしぶデイサービスに通うことになりました。「俺はおゆうぎなんか絶対やらないからな!」と、当日も玄関でゴネていましたが、担当のケアマネさんが来てくれて上手に誘導し、帰りはご機嫌で帰ってきました。なんでも、デイサービスでは大好きな麻雀ができるようで、麻雀仲間ができ、次もいっしょに、と誘われたのだそうです。デイサービスというと、歌や折り紙など、レクリエーションが女性向きで、うちの父のような頑固者には無理かと思っていましたが、男性利用者の多いところだと、いろいろと考えてくれるようです。スタッフも気持ちのいい男性が多いようで、家にこもっているときに比べ、明るく元気になってきました。
週に3日、父がデイサービスに通うようになってから、私の腰痛もよくなっていきました。娘が「たまには気分転換もしなきゃ。おじいちゃんの食事の世話をときどき私がやるから」と言ってくれ、友達とのランチやディナーに出かけて介護の愚痴を聞いてもらうと、私もだいぶ心が軽くなってきました。
しかし、こんな小康状態も長くは続きませんでした。父が、「最近、うちの門のところの階段を上がるのがつらい」といい始めたのです。十段ほどの階段を上がったところに玄関があるのですが、その十段を上る間に、3回も休むのです。確実に病状が悪くなっている……。診察に行くと、医師に「肺が真っ白ですね。水もたまっています。それに、前々から心配していた前立腺肥大もひどくなって、脚も局部もむくんでいますよ。入院して水を抜きましょう」
父はその場で「いやだ!」と言いました。「母さんが死んで、酸素ボンベも使うようになって、がっかりしてたけど、ようやく麻雀仲間ができたんだ。また入院なんて、絶対にいやだ!」。医師は「また麻雀をするために、2週間だけ入院するんですよ。そうしたら元気になって、楽しく麻雀ができますから」と言っても、「嘘だ、そうやってだまして家に帰さないつもりだろう。前だって2週間って言って、2か月も入院したんだ。もう病院はたくさんだ!」と言って泣き始めるのです。
また、わがままが始まった、と思いました。けれど、父の気持ちも手に取るようにわかりました。父は入院するたびに、薬が手放せなくなり、酸素ボンベを抱えるようになり……。よくなるどころか、いつも前より悪くなって帰ってくるのです。その先にある「死」を意識しながら息苦しさと闘う生活。不安で怖くてたまらないのです。長年父をみてくれている医師も、「じゃあ、今日はうちでゆっくりしてください。何日か麻雀を楽しんでからいらしてください」。その日は何も言わずに帰してくれました。
ところが、翌日、父は入院することになってしまいました。デイサービスで麻雀をしている最中に息苦しさを訴え、苦しみがひどくなり、そのまま救急車で搬送、入院することになったのです。
次回は度重なる入退院の様子をお伝えします。
*写真はイメージです。
*この体験談の1回目、2回目、3回目、4回目(最終回)はこちら
プロフィール
W・Tさん(女性 56歳)歯科医院勤務
千葉県在住。夫、社会人の長男、大学生の長女がいる。8年前、同居した両親(父80歳、母71歳)が同時に体調を崩し、2人の介護に追われる。先に母親が死去し、その後は骨折や肺気腫の症状で呼吸不全を繰り返す父親の介護に明け暮れる。夫や子供たちは理解があるが、その状況をひとりで抱えてしまったW・Tさん自身が体調を崩し、早々にパートの仕事を辞めるが、2年ほどは腰痛に悩まされる。現在はもとの仕事にもどり、週3日出勤する。
ほかの介護体験談も読む
●他の人はどんな介護をしているの?「介護体験談一覧」
私が思う「良い老人ホーム」より
●デザイナー・東海大学講師/山崎 正人さん
●モデル・タレント・ビーズ手芸家/秋川 リサさん
●フリーアナウンサー/町 亞聖さん
●エッセイスト・ライター/岡崎杏里さん
●フリーアナウンサー/岩佐 まりさん
●映画監督/関口 祐加さん
●漫画家/岡 野雄一(ぺコロス)さん