夫の母との長い確執を経て、90歳を超えてから心を通わせることができるようになったというR・Mさん。しかし、次なる難関は、グループホームでした。大腿骨骨折からの復帰をこのホームで目指していいのか――。悩んだ末の決断を迎えます。
*この体験談の1回目、2回目、3回目、4回目(最終回)はこちら
せっかく歩けるようになったのに1週間足らずで…
義母が大腿骨骨折で入院したのは、市内でも有名な「ボロい市立病院」。古い建物は薄暗く、手術前の説明をしてくれる若い医師を前にしても、不安だらけでした。なにしろ、義母は心臓があまりよくないのです。こんなことを聞いていいんだろうか、失礼に当たらないか、思いあぐねましたが、覚悟を決めるためにも聞いてみました。
「先生、90歳を過ぎた心臓があまりよくない高齢者の大腿骨の手術って、どれほどあるものですか?」、若手の医師は、こちらに向き直って笑顔で言いました。「日常茶飯事ですよ。ここでは100歳の男性にも手術をしたことがあります。僕の手術経験で言いますと、そうですね、週に2~3回はやりますから、ええと、数えられないなあ」。
先生が自信を持ってすすめてくれた手術は成功し、義母はリハビリも始めました。「こういう陽気な感じの認知症の人は、チャンスですよ。骨折したことなんか忘れてますから、昔の感覚で歩けるようになる人は多いんです」。若い医師はちょっと口は悪いけれど、温かい人でした。義母と冗談を交わしながらうまく誘導し、実際に歩けるように仕向けてくれたのです。入院前、風邪が続いて減ってしまっていた体重も、病院側がアイスクリームを与えてくれるなど、上手に調整してもとに戻してくれ、「かえって骨折してよかったのかも」と思えるほどに元気になり、グループホームに戻って行きました。
しかし、グループホームに戻って1週間もたたないうちに、義母はまた転倒してしまったのです。当初は「足元が不安定だから、よくあること」と聞いていたのですが、詳しく状況を聞いてみると、「スリッパをはかせていた。戻る前とリビングのレイアウトを変えていた」ということです。転倒リスクをわざわざ増やしているようなものです。
幸いにも骨折はしませんでしたが、右側の額から頬から足まで、内出血で真っ黒になっていました。打ち身で痛いのか、歩けなくなってしまい、せっかく手術をし、リハビリにも耐えて歩けるようになって帰ってきたのに、あっという間に車椅子になってしまったのです。見るも無残な姿。義母は「やだー、こんなになっちゃって」と人を笑わせるのですが、「こちら側のせいではない」というのが第一声のホームに、わだかまりを持ち始めてしまいました。
在宅のときのケアマネジャーさんに密かに相談しました。「もう90歳でしょう。そろそろ特養のことを考えましょう。お聞きしていると、その認知症グループホームとお義母さまとは、少しミスマッチになってきているのかもしれませんね」。
「いざというときのために、あらかじめ申し込んでおいたほうがいい」と言われ、いくつか書類を出しておいた特別養護老人ホームに電話をしてみると、そのうちの一軒が、「様子を見に行きます」と返答。車椅子で内出血をしている義母を見て、それまでのウェイティングの順番をグンと上げてくれ、2ヶ月後に入所日が決まりました。
穏やかな関係を育める日が来た
それからまた、2年。今、義母は特養で和やかに暮らしています。認知症はすすみ、私のことも、夫のことも時々忘れてしまいます。起きている時間も少しずつ短くなり、食事の前後しか起きていないようですが、それでも毎週土曜日にはだいたい外出して家で昼食を食べています。
目の前に食事を出すと、食欲があってもなくても、「あら、おいしそう」と言うのが生活習慣のようになり、ニコニコと食べてくれます。それも私に対する気持ちの表れなのかな、と思い、お互いに感謝し合えるようになっています。
9年前、「嫁と仲良くする気なんてさらさらない」と公言していた義母、その義母を恨みに恨んだ私。そうした関係は、いつの間にかどこかに流されていき、義母は私にとって、「無条件に長生きして欲しい人」になりました。
それはひとつには、倹約してある程度の預金を残し、年金と合わせればこの先、ずっと暮らしてけるだけの経済基盤を、義母が作ってきたことも大きいと思います。「あなたたちの世話はしない、そのかわり世話にはならない」は、金銭面については、義母がしっかり守り抜いた約束でもありました。義父が早くに死亡し、女手ひとつで子どもたちを育てた母。義父はあまり仕事熱心ではなく、貧しくてギリギリの生活だったはずなのに、父の死後に大学や短大にまで出すのは本当に大変なことだったと思います。トンカツを買わずにコロッケですませ、服は全部手作りにして被服費をかけなかった。そんな小さな積み重ねで100円、200円と預金を増やしてきたのです。孫たちに誕生祝いをしなかったのも、「そんなことをするぐらいなら老後の資金を貯めて、迷惑にならないようにしよう」という、先を見越した選択だったのかもしれないと、今になって思います。
人と人との関係は、不変ではありません。どんなにぎくしゃくしても、ほんの少しのきっかけで、大きく変わることがあります。だから、「この人を一生許さない」なんて不遜なことを思ってはいけないんだ。それを教えてくれたのも、義母でした。
義母は、先月93歳になりました。100歳を祝う日を、私たち夫婦も元気で迎えたいと願っています。
*写真はイメージです。
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プロフィール
R・Mさん(女性 54歳)団体職員
埼玉県在住。夫、ふたりの娘と4人暮らし。9年前、同居していた84歳の義母が縁側から落ちて右足のかかとを損傷。かろうじて歩けるようになったものの、2ヶ月後には認知症のきざしが。以後、徘徊、妄想などが始まり、本格的な介護が始まった。夫は義母の認知症を完全には認めないので、介護方針が立たない。どんどん病状がすすむ義母のサポートで疲れきり、軽いうつ状態になってしまう。
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