介護の体験は、その人にとって大きなドラマです。今回は、すい臓がんに冒された実父を介護した主婦Y・Kさんのお話を、4回にわたって掲載します。実家は車で2時間以上もかかる場所。3人の子供たちは大きくなっているといっても受験や就職のさなか。「近くにいてあげられない」もどかしさに苛まれながらも、車を飛ばして往復したり、電話やメールを駆使したりしながら、介護の主責任者となって最期まで奮闘しました。奇跡と言われるほど長く元気だった実父の介護物語、ぜひじっくり読んでみてください。
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のどのつかえが気になる、と軽い気持ちで検査したら――
なんだかのどのつかえを感じる――、そう思った父が、かかりつけの開業医に受診に行ったのが、平成23年の年明け、父が76歳の時でした。胃カメラを飲んでみたけれど異常なし、では超音波、となって、医師は息をのみ、国立病院への紹介状を書きました。
国立病院へひとりで検査に行き、検査結果も父だけが聞きに行きました。そして、病院から帰り、母や同居の妹に告げた言葉が、「すい臓がんらしいよ」。
あまりに突然のことに、母も妹も声が出なかったといいます。数あるがんの中でも自覚症状が少なく、見つかったときには手遅れになることが多いというすい臓がんに、まさか父が――。だって、3カ月ごとに心臓の検査もしていたし、それもたいした問題はなかった。自営業を引退した後は悠々自適で、健康そのものだったのに……。
妹から事情を聞いて、私もただ電話を握り締めて言葉が出ませんでした。
けれど、父は意外にも楽天的でした。国立病院からは、「手術できます。すい臓がんはとってしまえば、元気になれる場合が多いですよ」と聞いていたのです。「ただ、非常に難しい手術」ということなので、東京に住む私があれこれ調べ、都内の病院に勤務するすい臓がんの名医と呼ばれる医師にツテを見つけて、そちらを受診することに決めたのです。国立病院の医師は快く資料を渡してくれました。
詳しい検査をしたら、ステージ5という結果に……
東京の病院への受診には、私が付き添いました。名医が担当してくれるのだから、安心。このお医者さんに執刀してもらい、父は元気になれるのだ――。そう信じて、父と母、私と同居の妹が検査結果や治療方針を聞きに行くと、その名医の口から出た言葉は、「残念ながら、手術ができる状態ではありませんでした」。父のがんはすい臓だけでなく、肝臓の一部、脾臓、胆のう、門脈、十二指腸の一部に広がり、状態はステージ5、まさに末期だったのです。「こんなに切除したら、人間は生きていけませんよ」と、医師にも言われてしまいました。
残された医療面での治療方法は、抗がん剤の投与のみ。飲み薬のほかに、2週間に一度の点滴をする。そうしてがん細胞が広がるのを防ぎ、がんを小さくするのが目標です。
気丈な父は、落ち込むことはありませんでした。「抗がん剤でがんを小さくすれば、手術できる可能性がある。とにかくがんを小さくして、健康を取り戻そう」と、希望を持ちました。ただ、点滴をするたびに群馬県から日帰り、というのも難しい。「それなら、うちに泊まって、ゆっくりしてから点滴を受けたらどう? そのほうが体にいいに決まってるわ」。
思えばそれが、父の介護のスタートでした。
次回は東京の名医に失望し、地元の病院に再転院するエピソードをお伝えします。
*写真はイメージです。
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プロフィール
Y・Kさん(女性 52歳)主婦
東京都在住。実父は実母、Kさんの妹とともに群馬県で暮らす。3年前、76歳のときに父のすい臓にがんがみつかり、検査の結果、末期と判明。以後、半年ほど東京の病院に通院するも、実家近くの病院に再転院。Kさんは東京と群馬を自らハンドルを握って往復し、最期まで介護の主責任者となった。
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