たけし編集長より「若い人たちにもぜひ読んでもらいたいね。」

■書名:新潮75 どうする超高齢社会!
■発行元:新潮社
■出版年:2013年11月
■編集長:ビートたけし
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超高齢社会を考えるとは「どう生きるか」と「どう死ぬか」を同時に考えること
熟年世代のための雑誌として知られる『新潮45』の別冊である。「45」という年齢示唆の数字が「75」に変われば、意味は明瞭。すでに到来しつつある超高齢社会が直面しているもろもろの課題に、実績ある専門家、記者たちが率直果敢に取り組んでいる。
年金•介護•医療という定番の大きな課題から、死をどう迎えるかまで。生々しいテーマばかりだなあと感じながら読み進むうちにわかってくることは、「超高齢社会」とは「どう生きるか」を考えることが「どう死ぬか」を考えることに限りなく近くなる社会なんだなあ、ということ。生々しいのも道理なのである。
にも関わらず、すっきりした読後感が残るのは、ビートたけし編集長の歯に衣着せぬ放言?提言がつくりだした風通しのいい雰囲気の中で、ほぼ50代以上の実力ある書き手たちが、テーマの核心にケレン味なく迫っているからだろう。
自身の人生の終わり方に示唆を得たい方は、養老孟司先生の「後期高齢者」という立場から寄せた一文や、66歳を迎えたビートたけし編集長が自分の終わり方について語る「エンディングノート」に何かを感じられるかも知れないし、まだまだこれからの生き方を豊かにしたいんだと考える方には、90歳代のアスリートも出場する「マスターズ陸上」や「老人婚活最前線」ルポが励みになるかもしれない。
介護のあり方に関心のある方には、<「年金•介護•医療」危機脱出の処方箋>(藻谷浩介/日本総合研究所主席研究員)と題された巻頭の解説記事をおすすめしたい。藻谷氏は介護保険を使わない方法で高齢者介護の仕組みを組織的に作り上げているNPOを高く評価している。介護保険という枠組みにしばられなくても、介護が出来るということを教えてもらうだけでも意味のある記事に思われる。アナリストの藻谷氏は、超高齢社会がどのようにいま“発生”してきているのかを数字をあげながら具体的に語ってくれているが、その語り口に悲観的なトーンがないのは、次のようなある確信があるからのようだ。
<超高齢社会のトップランナーであり、これまで高齢者三倍増の30年を乗り切ってきた日本。だからこそ、私はまったく悲観していません。一人一人の「幸せに生きて大往生したい」という思い、それに応えるあらゆる分野の官民の努力が、必ずや「明るい高齢社会」を実現することでしょう>
この“確信”を楽観的と批判する向きもあるかも知れないが、結局のところ、現実というのは「なんとかしなければないもの」。とすれば、楽観的にかつ、知恵は振り絞って取り組む、というのがあるべき姿勢ではないか、というこの藻谷氏の“確信”に一票を入れたいところ。悲観しているだけでは現実は変わらないし、たとえ世界が破滅したとしても“日はまた昇る”のだから。
世界に先駆けて「安楽死」を認める方向へと踏み出した国、オランダの現状を紹介する記事もある。近年、日本でも認知されつつある「平穏死」が「生の炎が自然に消えていくのを認める立場」だとすれば、安楽死は「生の炎を自らの意志で吹き消すことを認める立場」ともいえる。そこには大きな隔たりがある。「生きること」「死ぬこと」そこに「自分の意思」がどう関わるのか、ということを否応なく考えさせられるテーマに違いない。
どうも「75」の周辺は、一筋縄ではいかないものばかりのようである。とはいえ、それこそ人生、といえなくもない。
「楽観的かつ知恵を振り絞って」新しい年へ向かいたいものである。
<佐藤>
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