手術や麻酔の影響で起きるからだの不具合を、「術後合併症」といいます。
高齢者は、心臓や肺、肝臓などの機能が落ちていることや、体力もなくなっていること、そして高血圧や糖尿病などの持病を多く持っていることから、若い人よりも術後合併症が出やすくなります。
術後合併症のなかには、術前に持病をコントロールしていくことでリスクを減らせるものや、予防できるものがあります。
手術後、どんなことが起こる可能性があるのかを知って体調を整えておくことは、手術を安全に乗り切るために非常に重要です。
<監修:上條内科クリニック 院長・医学博士 上條武雄 / 文:星野美穂>
【質問 人工股関節手術を勧められている母、麻酔のリスクは? 75歳・要介護1】
喘息も持っている母。人工股関節を入れる手術を勧められましたが、麻酔を使った手術が安全に受けられるのかが心配です。
(相談者:娘)
75歳の母は、以前から変形性股関節症で整形外科に通っています。ここ1年くらいの間にいよいよ痛みが強くなり、近所への買い物でさえへも行くことができなくなってきました。
かかりつけの整形外科の医師からは…(続きはこちら)
【 上條先生の回答 】前回からの続き *前回(1回目)はこちら
手術前には、執刀医に持病を伝えておくことが大事
相談者のお母さまは、喘息を患っていらっしゃるのですね。
高齢になると、手術の原因となる病気だけでなく、多くの方がさまざまな持病を抱えています。なんらかの持病で薬を飲んでいたり治療を行ったりしている場合、手術を受ける前に執刀医に伝えておくことが大切です。
たとえば、相談者のお母さまのような、人工股関節を入れる手術と持病の喘息は一見、関係がないように見えます。しかし、手術で使う麻酔薬には喘息を誘発してしまう種類のものがあります。
執刀医がそれを把握していないと、手術中に喘息発作が起こってしまう可能性もあるのです。
手術を受ける前に喘息だということがわかっていれば、喘息を引き起こしにくい麻酔薬に変えたり、万が一、喘息の発作が起こった時も対処できるような準備ができます。
持病を執刀医に伝えておくということは、非常に重要なことなのです。
また、手術前には薬をきちんと飲むなどして、喘息をコントロールしておくことも、安全に手術を受けるためには重要です。
「高血圧」は術前のコントロールを心がけて
高齢者の持病で多いのが、高血圧や不整脈など、循環器系の病気です。こうした持病がある方は、麻酔薬によって血圧が上昇したり、心拍数が増加しやすくなります。
麻酔の影響だけでなく、手術で入院ともなれば緊張や不安、手術後は傷の痛みなどで血圧が上がりやすくなっているものです。
高血圧症の患者さんは、血管の内側にコレステロールなどが付着して血管が厚く硬くなる動脈硬化であることが多く見られます。
動脈硬化の状態で血圧が急激に高くなると、脳梗塞や心筋梗塞を起こしやすくなります。
血圧の高い患者さんは、手術前から運動や食事、そして降圧薬などで血圧をコントロールしておくことが大切です。
●「高血圧」について、詳しくはこちら
→高齢者の高血圧
肺炎など「呼吸器合併症」の危険性も
一方、手術後の合併症で一番問題となるのが、呼吸器合併症です。
手術後は気道分泌物、いわゆる痰の分泌が増えて、無気肺(むきはい)や術後肺炎などを起こしやすくなります。体力の落ちた高齢者が肺炎にかかると、死亡のリスクも高まります。
全身麻酔をかける場合、麻酔薬によって呼吸のための筋肉の動きも抑えられるため、気管(空気の通り道)にチューブなどを入れて酸素を送り込みます。
無気肺とは、このチューブなどの刺激によって気管内の分泌物(痰)が増え、末梢の気管支が塞がることによって起こります。そのため、肺が十分な酸素を取り込めず、呼吸困難に陥ります。
手術の痛みで呼吸が浅くなることも無気肺の原因になり、放置すると肺炎になることもあります。
また、手術がきっかけで誤嚥性肺炎を起こすことがあります。手術中に、唾液や食べ物のカスといった口のなかの貯留物や、胃の内容物が気管内や肺に入ることが原因です。
麻酔をしていると、のどの筋肉もゆるみ、口のなかの貯留物が気管支や肺に流れ込みやすくなります。また、胃のなかに残っていた食べ物や水分を麻酔中に吐いて、肺に入ることもあります。
こうしたことが原因で、特に免疫力が低下した患者さんでは肺炎が起こりやすくなります。
それを防止するため、手術前に指示された絶食・絶水は確実に守りましょう。
呼吸器合併症の予防には、呼吸法が有用
呼吸器合併症を予防するためには、腹筋を使った深呼吸が推奨されています。手術前に深呼吸の方法を看護師や理学療法士から教えてもらい、練習しておくと良いでしょう。
呼吸法は、患者さんが自分でできる術後合併症の予防法です。術後の回復を早くするためにも、手術をする前から取り組んでいただきたいと思います。
また、タバコは痰を増やすため、術前の禁煙は大切です。
弾性ストッキングで「エコノミークラス症候群」を予防
入院で寝ている時間が長くなると、肺血栓塞栓症(はいけっせんそくせんしょう)が起こりやすくなります。いわゆる「エコノミークラス症候群」です。
長時間、足の筋肉を動かさないでいると、足の血管のなかで血流が滞り、血栓と呼ばれる血液の塊ができてしまうことがあります。その血栓が血流に乗って肺の血管で詰まると、呼吸困難や激しい胸の痛みを引き起こす肺血栓塞栓症を引き起こします。
手術中は長時間足を動かさないことに加え、麻酔薬の影響で筋肉も緩むため、余計に血流が滞り血栓ができやすくなります。
60歳以上の高齢者ではそのリスクが高まるといわれています。
血栓を作らないようにするために、手術中、安静中は圧迫力が強い弾性ストッキングや弾性包帯を使用したり、膝から足首を周期的に圧迫する器械を使ってのマッサージなどが行われます。
動脈硬化があるなど特にリスクが高い患者さんは、抗凝固薬を服用するなどの方法があります。
「術後せん妄」は一過性なので安心を
手術をきっかけに起こる術後合併症のなかで、特に高齢の方に起こりやすいのが、術後せん妄です。
術後せん妄とは、手術後2~4日してから急に興奮や錯乱が現れる症状です。
大声を上げたり、暴れたり、近親者の認識ができなくなる、昼夜逆転などの症状が現れます。ときには、無感情になったり、動きが少なくなることもあります。
もともと認知症であったり、高齢であるということ、入院して環境が変わったなどのさまざまなことが要因となり、手術を受けたことによるからだの負担や、手術中に使用された麻酔薬などの薬物が直接の原因となって引き起こされると考えられています。
認知症と間違われやすい症状ですが、認知症はゆっくり発症して緩やかに悪化していくのに対して、術後せん妄は突然発症し、一過性であることがほとんどです。
とはいえ、術後せん妄の現れている数日間はケアが大変になるため、抗精神病薬や睡眠薬など使って患者さんを落ち着かせていきます。
予防のためには、術前に十分説明を行って不安を取り除くこと、術後できるだけ早くからだを動かす、家族などの面会を密にする、昼に面会を入れるなど昼夜のメリハリをつけるといったことが重要だといわれています。
ただし、手術それ自体や麻酔薬などが原因のため予防が難しいのも現状です。
ご家族はびっくりしてしまう症状ですが、通常は回復可能ですので、ご安心ください。
今回は高齢者に多い、特に注意が必要な麻酔薬の合併症について取り上げました。
ここに掲載したもの以外でも、麻酔薬の影響により起こる症状は少なくありません。
手術前には執刀医と麻酔医の両者とコミュニケーションを図り、どんなことが起こる可能性があるのか、そして予防の方法、対処の方法を考えていくことが必要です。
●「せん妄」について、詳しくはこちら
→せん妄はなぜ起きる?
●「高齢者のかかりやすい病気・疾患」の一覧を見る
●「在宅医 ドクター上條に聞く」のコーナーをすべて見る
プロフィール
上條内科クリニック院長・医学博士 上條武雄先生
1992年慈恵会医科大学卒業後、2003~2007年まで上野原市立病院内科勤務。2007年から横浜市内の在宅療養支援診療所3ヶ所に勤務の後、2011年に上野原市に上條内科クリニックを開業。地域を支える在宅医として、認知症ケア・緩和ケアなどにも力を入れる一方、アニマルセラピーの普及や、医療・介護が連携しやすい仕組みづくりにも取り組む。忙しく飛び回る毎日の癒しは愛犬のチワワたち(花音、鈴音ともに7歳)。自身でアニマルセラピーの効果を感じる日々。